予期しなかった母の死を経験した松尾さん。母は本当は自分ともっと過ごしたかったのではないか。でも、仕事に打ち込む自分にそれを言えないまま逝ってしまったのではないか――。
「大切な人と過ごす時間も取れない人生は、死ぬ時にきっと後悔する」。そう感じた松尾さんが始めたのは、自分との対話メモでした。
「毎日、どんなことに自分の心が喜びを感じ、どんなことに心が喜ばないのか。起こった出来事と、その時なぜその感情になるのか。どうすれば心が喜ぶことを増やして、心が喜ばないことを減らせるのか。そういったことをパソコンやスマートフォンでメモするようにしていました」
成功した経営者の中には、日記を書く習慣があった人が多いとも言われます。この対話メモも日記のような役割を果たしていたのかもしれません。
松尾さんは対話メモを書き続け、それを毎日読み返すうちに、次のようなことに気付いたといいます。
「子どもから『一緒に遊ぼう』と言われ、でも仕事をしていてべそをかかせてしまった時のことや『マネジメントに時間を費やして、ダイバーシティに関する業務に時間を使えなくてもどかしい』という話が繰り返し登場していることに気付いたのです」
「あとは、温泉に行って自然を見ながら温かいお湯に浸かった時に『あぁ、わたしはこういう時間を欲してるんだよなー』と思った、その気持ちなども文字で可視化しきました」
文字として可視化された文章を見ると、「なんとかしたい」という気持ちが強くなっていったといいます。そこからは、どんどん自身の心が喜ばないことを手放していくことができるようになりました。
「だから最後は決断というよりも、自然と『マネジメントを手放すと、心が喜ぶ日々になる』と思えるようになったのです」
対話メモを始めて、もう1つ松尾さんが気付いたのは「自分は自分の心がざわざわっとした瞬間をキャッチする力はあるけれど、そこからアクションを起こすまでに時間がかかる」ということでした。
その原因はどこにあるのか、これも対話メモで掘り下げていくと、あることに気付いたといいます。
「やりたいことを実現したい、その気持ちと同時に、まず他人の目を気にしている自分がいました。自分自身の心が喜ぶことを第一優先にはしてこなかった。『こんな大企業に入れたよ』『こんな役職に就けたよ』『これだけお給料をもらっているよ』――。そう、私が気にしていたのは、両親。特に母の目です。私は母に褒められたかった」
第1回で触れたように、松尾さんには東京大学に進学した優秀な兄がいました。松尾さんから見て、勉強もスポーツもできた兄。
「母に褒められたかったのは、兄のほうが優秀で、私から見るとたくさん褒められていたからです。勝手に、私よりも、兄のほうが愛情を持たれていると思い込んでいたのです」
しかし、母が亡くなった後に、叔母が次のようなエピソードを話してくれました。
「れいちゃんが水泳でいい成績を残したとき、姉ちゃんは本当にうれしそうに話していたよ。自慢げだったよ」
「それを聞いて、あぁ、私はちゃんと愛されていた、と思うことができました。当時私から見えていた、兄のほうが褒められているというのは、本当に一側面でしかなかったんだなと。だから、誰かに褒められるとかではなく、自分が本当にやりたいこと、望むことを選んで生きていいんだと思えるようになったのです」
現在は「40代からのキャリアを考える」というSNSグループに参加し、メンバーとお互いの対話メモの交換を始めたという松尾さん。まず、対話メモそのものも進化しています。
「最近は、メモのカテゴリを『仕事・趣味・健康・家族・学び』の5つに分けて書いています。ミネソタ大学のサニー・ハンセン名誉教授が『キャリアは4つのL、Love(愛)、Labor(仕事)、Leisure(余暇)、Learning(学習)がうまく織り成されているといい人生だ』ということを言っていて、私はここに健康も付け加えて意識するようにしています」
例えば、何か充実感がない、と思った時に過去数日間の対話メモを見ると「学びが足りていない」とか「休息の時間が足りていないから疲れているんだ」など、改善方法も分かるため、コンディションが悪い状態から早く脱却できるそうです。
対話メモを交換し合って、感想を伝え合うことには次のようなメリットがあるといいます。
「メモを交換した人の中には、2年間も会社を辞めるか迷っていたのに、メモの交換を始めて1カ月で退職を決意した人もいました。自分と向き合って、それを応援してくれる人がいると、より自分に素直でいていいんだ、と思えてアクションにつなげられる気がしますね」
自分自身でキャリアをデザインしていくことが大切な時代。総合職、報道、広報、ダイバーシティと多様な職種を経験してきた松尾さんですが、自分ではバラバラのキャリアを歩んでいると思っていないといいます。
「私が突然『エンジニアになる!』と言ったら、それは突拍子もなく聞こえるかもしれませんね(笑)。でもこれまで歩んできたキャリアは、すべてが関連しているのです。例えばNHKの報道職だったおかげで、広報の職に就いた時、相手のニーズが手に取るように分かりました。ダイバーシティの施策も、まずは広報として関与し、基本的な思想や仕組みを理解してから主管の人事部に兼務をつけてもらいました。逆に、人事的な施策も、ほんの少し広報のエッセンスを加えるだけでメディアに取り上げてもらうことができ、爆発的な認知を得ることもできます」
やりたいことがあったら、少しずつ得意領域から染み出して、最終的にピボット(方向転換)してみることがおすすめだと松尾さんは話してくれました。
現在、松尾さんは個人事業主に戻り、ダイバーシティに関する施策や、それに伴う広報戦略の企画、立案を手掛けています。松尾さんのダイバーシティに関する思いをさらに強くしたのは、母が遺した手紙でした。
遺品の中から見つかったその手紙は、松尾さんの母が東京都知事に宛てた、出せなかったものでした。
「『いつも人手不足のニュース。でも私のように、働きたくても働けない人もいる。人手不足に陥っている仕事は具体的にどんなスキルが必要なのかも報じてほしい』とか『子育てを終えた人間が、子育て経験を活かしてやれる事もあるんじゃないか』といった趣旨の内容が書かれていました」
「母は、働きたかったんですね。母が病気だからと、働かなくても済むように頑張ろうと思っていた自分が間違っていた。私は人材会社で働きながら、身近な人の仕事さえ何ともできなかった。もっと母の気持ちを聞けばよかったと、すごくすごく後悔しました」
「管理職推薦のことで悩んだ時も、母とのことも、結局対話不足で、対話をしていたら気付けたこともきっとあったと思います。だから、相手との対話の大切さと共に、自分自身との対話、自分の気持ちを大切にすることの必要性も同時に感じました。その気持ちに素直に従って選択できる、他者の選択に寛容な世の中であってほしいと、強く思うようになりました」
今後、どんな働き方や仕事をするとしても、周囲を気にして自分の生活を犠牲にすることなく、仕事の時間、子どもとの時間を配分すると決めています。
「子どもとの対話についても、子どもは自分の目線でしか親との関係を見られないのは仕方のないことです。でも、子どもに見えたその一側面が、その子の生き方や価値観にまで影響を与えるんですよね。私自身の経験からも、自分が子どもに対してものすごく愛情を注いでいるつもりでも、子どもからは、そう見えていないかもしれないと思います。だからこそ、子どもとの時間は、しっかり向き合いたいと思います。少しでも、愛されていると迷いなく感じられるように」
(取材・文:富谷瑠美、デザイン:高木菜々子、編集:竹本拓也)