物価上昇や円安、紛争による社会への影響…日本や世界の経済動向は、私たちの仕事や働き方にどんな影響を及ぼすのでしょうか。その中で、若手ビジネスパーソンがキャリアの“良い転機”をつかむために必要な視点とは?
気鋭のエコノミスト・崔真淑さんに、経済学の視点から見た若手ビジネスパーソンのキャリア戦略について、話をうかがいました。
物価上昇や円安、紛争による社会への影響…日本や世界の経済動向は、私たちの仕事や働き方にどんな影響を及ぼすのでしょうか。その中で、若手ビジネスパーソンがキャリアの“良い転機”をつかむために必要な視点とは?
気鋭のエコノミスト・崔真淑さんに、経済学の視点から見た若手ビジネスパーソンのキャリア戦略について、話をうかがいました。
──まずは、この1年の日本経済の大きな動きについて教えてください。
崔:マクロな視点では、やはり「円安」がキーワードです。円安というとマイナスのイメージが強いかもしれませんが、トヨタなど製造業の輸出企業は、海外市場の好調を背景に業績を伸ばしていますし、2022年度の国の税収は初めて70兆円を超えました。
つまりグローバルにビジネスを展開する企業と、日本国内の需要に頼っている企業との間で、収入格差が浮き彫りになってきたということです。
もう一つ、ChatGPTを始めとした生成AIの活用が広がったことも、日本経済にとっては大きな転機になるでしょう。AI技術を活用し、創造的な仕事をする職種と、AIによって代替される職種の間で、賃金格差が生まれてくるのではないでしょうか。
例えば米Amazonでは、博士号を持つ技術職など専門性の高い従業員の基本給を大幅に引き上げる一方で、配達員や物流倉庫で働く従業員たちが賃上げを求めて労働組合を結成するなど、同じ企業内でも職種による賃金格差が生じています。
──日本でも、職種による格差は広がっていくのでしょうか。
崔:そうですね。アメリカで起きていることが、今後日本でも起きると考えられるでしょう。
日本ではかつての年功序列、終身雇用制度が崩壊し、「ジョブ型雇用」を導入する企業が増えています。これは特定の職務内容に基づいて、そのためのスキルや経験を持つ従業員を採用する仕組み。すると勤続年数や年齢にかかわらず、スキルを持ち価値を生み出すことのできる人材が評価され、多くの報酬を受け取るようになります。
アメリカではもともとジョブ型雇用が一般的で、日本に比べ減給や解雇のリスクが高いと言われますが、その分、労働者の権利を守る労働組合が強い影響力を持っています。
一方、日本の労働組合は企業内に置かれている場合も多く、ほかの先進国と比較すると影響力は限定的です。もちろん西武HDのストのような事例も出てきていますが、どうなるか…。
ですから今後は、日本の労働者には、仕事のスキルや能力を磨くだけでなく、自分の権利を守るために労働に関する法律を学ぶなど、武装することが求められるのではないでしょうか。
──日本でも格差が広がっていくとなると、現場のビジネスパーソンにはどのような影響がありますか?
崔:ジョブ型雇用が浸透すると、企業はこれまで以上に、現場で新たな価値を生み出すことのできる人材を求めるようになります。
そこで業務に必要なスキルを持ち、価値を生み出せる人間であることを示す上で、「これまで何を学んできたのか」が一つの指標になるはずです。
例えば技術系の職種であれば、論理的思考力や数学的な能力、プログラミングの知識に加え、問題解決能力が求められるでしょう。それらの能力を示すために、修士号や博士号を持っているかどうかが、採用基準として意識されるようになると予想しています。
──ひと昔前の日本は学歴偏重社会と言われていました。当時のように、就職において学歴が重視される時代が来る?
崔:かつての日本の学歴主義では、大学名や学部名に重きを置いていました。しかし今後はどんな分野の専門知識やスキルを持っているのかを重視する「学位主義」になるのではないかと私は考えています。
最近、イギリスの経済誌『The Economist』に、経済学者で元スタンフォード大学名誉教授の故・青木昌彦氏の言葉が引用されていました。青木氏は、日本経済が1990年代初頭から始まった長期停滞から立ち直るには、新しいモデルを生み出すための世代交代が必要で、それには30年かかると予測していたのです。
そして今、日本はバブル経済の崩壊からおよそ30年の節目を迎えています。かつての成功体験を忘れられない世代が引退し、今後は自らのアイデアで事業を立ち上げたり、課題を発見し解決したりするトレーニングを積んできた人材が評価される時代が訪れるのでしょう。
──「これまで何を学んできたか」「課題解決力」が求められるようになる中で、若手ビジネスパーソンが自身でキャリアの転機をつかむには、どうすればいいと思いますか?
崔:人によって得意分野も、キャラクターも違うので一概には言えませんが、例えば企業の中には新しい事業やプロジェクトを生み出したり、研究開発をしたりする部署がありますよね。そこで課題を抽出し、仮説を立て、アプローチを考えて設計図を描くような人材になれるかどうかは、一つの鍵になると思います。
企業が利益を上げ続けるためには、イノベーションが欠かせません。最先端のビジネス環境で、これから収益の柱になっていく事業に携わる経験は、個人のキャリアにとってもプラスになるのではないでしょうか。
──経験を積める場所に行くと。そのような環境を得るためには、日々どんな意識を持って仕事に取り組めるといいでしょうか。
崔:自分の好きなことと、まだ掘り尽くされていない、開拓の余地があるジャンルの掛け算で「オンリーワン」を目指せるといいと思います。そのためには、まずは自分が興味を持てる分野を、どんどん深掘りしていくといいでしょう。
例えば私自身は経済やファイナンスの領域で活動していて、中でも株式市場や為替、ジェンダーやダイバーシティに興味があります。日本ではファイナンス分野の研究者で、ジェンダーやダイバーシティについて深掘りしている人が多くないので、そこに価値を感じてもらえることは多いですね。
面白いと思う分野のニュースを意識して見たり、論文を読んだりし続けることで、周囲からも「この人はあのジャンルに強い」と認識されるようになり、結果的に自分の強みになっていくと感じています。
専門を深めていけば、その道の成功者や経営者など、いわゆる「お金持ち」と会話をする機会につながるかもしれません。彼らが興味を持つ話題を提供できれば、メディアで公開されている情報よりも一歩深い、リアルな話を聞くこともできるので、さらに専門性は高まるはずです。
──お金持ちと話すことが「オンリーワン」にもつながる。面白い発想です。
崔:とはいえ自分自身が、知識ではなく金銭でお金持ちの仲間入りを目指すことはおすすめしません。例えば若いうちからお金のために本当はやりたくない仕事をして、過度な節約を続けて、FIREを目指すような生活ってつらいですよね。
お金をもうけることだけに気を取られていると、だまされやすくなりますし。私自身、株式投資で損をした苦い経験もあります。
ですから若手の方には、お金の心配をしすぎず、自分の好きなことをとことん追求してもらいたい。円安の今、ワーキングホリデーでオーストラリアやカナダに行けば、日本で働くよりも効率よく収入を得ることもできますしね。
興味の方向性は、ライフステージによって変化するものですから、最初から分野を限定しすぎず、数年単位で楽しみながら好きなことを追求していけばいいと思います。
──目先の収入にとらわれず、自分の「好き」を追求していけば、結果的に仕事に結びつくのでしょうか?
崔:そう思いますし、私自身もそれを信じて行動しています。以前、タレントの伊集院光さんが、師匠である三遊亭円楽さんの言葉として「時間を忘れるくらい好きなことに、少しの社会性を持たせたら、それだけで食べていける」という意味のことをおっしゃっていて、すごく共感したんです。
自分の経験を振り返っても、「お金を稼ぎたい」という気持ちだけで仕事をすると、そのために犠牲にしなければならないことがあまりにも大きくなります。
今後格差が広がる社会であるからこそ、自分の好きなことを、どうすれば人の役に立てられるかという視点で考えるのが「キャリアの良い転機」をつかむ上では大切ではないでしょうか。私も、その気持ちを忘れずにキャリア活動を続けている最中です。
(文:高橋三保子、デザイン:高木菜々子、編集:井上倫子)