【ハラミちゃん】自分らしく働くために見つけた「2つ目の武器」

2021年11月30日(火)

ピアノに生きていた、私の22年

「勉強や部活は捨てて、音楽の道で食べていくんだ」

小学1年生のとき、通っていた音楽教室の先生から音大受験に関するテキストを手渡され、初めてピアニストとして働く将来を意識しました。

音楽の才能が飛び抜けてあったわけではありませんが、すでに自分のアイデンティティはピアノでした。友だちからも「ハラミちゃん=ピアノの子」という認識を持たれていたと思います。

学校以外で友だちと遊んだ記憶はほとんどありません。ポケモンもよく知らないし、ジブリ映画も観たことがない。学校がお休みの週末でさえ、食事以外の時間はピアノに費やしてきました。

小学3年生の頃には、夏休みの宿題でも「ピアニストになる将来像」を描いていた(写真:本人提供)

それでも、ピアノで食べていける実力と勇気が身に付くことはありませんでした。

第一志望の音楽大学には入れませんでしたし、一流大学でピアノを学ぶ学生たちほど、プロとして生きていく覚悟が持てなかったのです。

じゃあピアノの先生になるのか。どうしたらいいのだろう——。卒業へのカウントダウンが始まったところで、私は唯一の武器だったピアノにすがりついていることに気が付きました。

自信がないままこの道を行くくらいなら、社会人になって安定した生活をするほうがいいのかもしれない。

結局、当時の私は音楽で生きていくのを諦めました。

ピアノを諦め、畑違いのIT企業に

大学3年になり、就職活動を始めました。

とはいえ、私が通う音大は、企業に就職する学生が多い一般大学とはまるで違う環境です。自分で動かなければ何も始まらないことを理解した私は、友だちに「私ってどういう人かな?」とLINEを一斉送信しました。

自分を体現するキーワードを集め、自分という人間を見つめ直すことから始めようと思ったのです。

でも、自分という人間を理解できたからといって、就職したい会社が見つかるわけもなく......。

そこで、次は就職説明会に足を運んでみました。幕張メッセでやっている、大規模なやつです。当時の私は志望する業界や職種がなかったので、心の赴くままにブースを訪問していました。働くうえで、自分が大切にしたいことが見えてくると思ったからです。

ある程度の方向性が見えたところで、今度はより「濃い情報」を求めてアポイントを取りました。説明会の話は抽象的なので、働いている人の声を直接聞き、自分との相性を確かめたのです。入りたいと感じている会社の場合、社員の方を出待ちして声をかけたこともありました。

こうした活動を続けていると、少しずつ解像度が上がっていきます。「同じ広告代理店でも、雰囲気は違うんだな」とか「私は若手社員でも活躍できる会社が好きなんだな」とか、好き嫌いを含めて理解が深まっていくのです。

最終的に、私はとあるIT企業への就職を決めました。自由な発想で、真っ白なキャンパスにどんどん絵を描いていける社風が、自分にマッチしていると感じたからです。

1カ月分の定期を買えなかった

ただ、私は社会人になるまで、ほとんどパソコンを使ったことがありませんでした。ITの会社で働くというのに、ITの知識やスキルがゼロだったんです。

研修で「パワーポイントで資料を作って」と言われたときは、紙とペンで「企画の力の入れどころ」をまとめたこともありました。パワーポイントの存在を知らなかったので、直訳して「力の入れどころ」だと勘違いしたのです。

そのときばかりは、この世のものと思えないような反応されましたよ。「ここ、ITの会社だよ?」って(笑)。

「入社する場所を間違えたな」というのが、当時の正直な気持ちです。

初めての社会人生活は不安だらけだったという(写真:本人提供)

自分だけが周囲と違う孤立感もあって、「明日になったら辞めよう」と自分に言い聞かせる日々が続きました。毎日通える自信がなくて、1カ月分の定期も買えませんでした。

それでも、会社の皆さんは、そんな私のことも根気強くサポートしてくれました。泣いている私を見つけると、勤務中なのに「パンケーキでも食べにいくか」と連れ出してくれたり、それでも泣きやまない私にティッシュを買ってきてくれたり。

周囲の先輩や同僚には、本当に救われました。いま思い出しても、少し涙が出そうです。

「自分らしく働く」ということ

そんな私が「自分らしく働けている」と実感できるようになったのは、仕事の能力が身についてきた入社数年目のことでした。

自分らしく働くには、メンタルと能力、大きく2つの観点があると思っています。私は入りたかった会社に入社でき、自分をありのままに表現できていたので、メンタル面ではいつも自分らしくいられました。

一方、業務においては得意なことがなかったので、そもそも自分らしさというものがなかったのです。

ただ、自分の仕事だと胸を張れるものに出会えてから、見える景色が一変しました。

私は若い世代のSNSを見るのが好きでした。「JKの間ではこんなアプリが流行っているんだ」とか、「渋谷で人気のお店はどんなものか」とか、通勤中の電車でずっと見ていたんです。

Photo:iStock / 5./15 WEST

私にとって、それは仕事でもなんでもなく、ただの趣味です。でも、それにはニーズがあることに気が付きました。それからというもの、発信したいという欲求もあって、会社のSlack(社内連絡ツール)で自分のチャンネルをつくり、若者文化を発信するようになりました。

すると、「若者文化に詳しいハラミちゃんという人がいる」と社内でうわさされるようになって。うわさを聞きつけた他部署の方からも、次第に頼ってもらえるようになりました。

もっとリアルなトレンドをつかむために、街ゆく人に声をかけて、フラペチーノをごちそうして話を聞いたこともあります。

こうして自分ができることを一生懸命に続けていたら、求められる仕事に能力が追いついてきて、仕事に自分らしさが出てきたんです。

入社して何年目かには、社内でMVPをいただけるようにもなりました。

いま22歳でも、会社に就職する

にもかかわらず、会社を辞めてピアノの世界に戻ったのは、ガムシャラに働きすぎて何カ月か休職したのがきっかけです。

会社が嫌になって辞めたのではありません。これから先10年間も働き続けられるくらい、働いていた会社が好きでした。でも、ITの世界で働き続けるの自分にとってのベストな人生かと聞かれると、少しだけ自信がありませんでした。

私は小さい頃からずっとピアノをしていたので、もともとITの知識なんてなかったし、なんならゲームすらやったことがありませんでした。

休職期間に改めてやりたいことを見つめ直し、「自分が一番しっくりくる場所にいたい」という思いが強くなったのです。

人生をかけて時間を割いていきたいのは、やっぱりピアノ。休職中、ある先輩に誘われて東京都庁のストリートピアノを演奏しに行った時の思わぬ反響に、私は再びピアノで生きていく決意をします。

ピアニストYouTuberになるきっかけとなり、今も続けているストリート演奏(写真:本人提供)

とはいえ、会社員として働いた経験が無駄だったとは思いません。いま学生時代に戻っても、もう一度就職したいと思うくらいです。

もし音大を卒業して、そのまま現在の活動を続けていたら、いまのように自分らしく働くことはできなかったと思います。

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【ハラミちゃん】自分らしく働くために見つけた「2つ目の武器」【保存版】就活スターターガイド:仕事選びから面接術まで全てわかる

取材・文:オバラ ミツフミ、編集:佐藤留美、伊藤健吾、取材協力:高橋智香、小原由子、デザイン:國弘朋佳、撮影:遠藤素子