【Allbirds蓑輪光浩】ナイキやユニクロで知った「世界で通用する力」の鍛え方

2021年9月21日(火)

22歳なら海外協力隊に応募する

いま22歳だったら、就職せずに海外協力隊に応募すると思います。なるべく若い時期に、インターナショナルな環境に身を置きたいからです。

日本を飛び出してグローバルな環境で働いた経験から、海外の優秀なビジネスパーソンたちと切磋琢磨する経験が、キャリアにおいて飛躍的な成長をもたらしてくれるのは間違いないと思っています。

もちろん、卒業してすぐにグローバルな環境で働く選択肢もアリです。それでも海外協力隊を選ぶのは、“ミステリーな選択肢”で、お給料までいただけるから。チャレンジに年齢制限はありませんが、若いほうが思い切った選択肢を取りやすいですからね。 

吸収力が高いうちに多様な価値観に触れ、世界中の人たちと対話するための語学力を身につける。その過程で培った自分らしさを武器に、社会人として活躍する道を選ぶと思います。

グローバルな環境に身を置く重要性を最初に感じたのは、新卒で入社したNikeで働いていたときのこと。オランダに駐在していたのですが、オフィスに日本人は3人しかいませんでした。1500人のうち、たった3人です。

英語がネイティブレベルではなかったので、発言するのにも勇気が必要でした。でも、発言しなければ職場に来る意味はありません。プレゼン一つするのにも相当な準備をしていましたし、職場に向かう電車では「湘南乃風」を聞きながら、いつも自分を奮い立たせていました。

いうなれば、「ドラゴンクエスト」の世界です。

仲間を増やして、課題をクリアしていく。仕事はいつだって戦場で、判断を誤れば居場所がなくなるのではないかと思いながら、いつも冷や汗をかいて働いていました。もちろん、恥ずかしい思いを何度もしましたよ。

でも、当時の経験が僕のキャリアを支えているのは間違いありません。一流のアスリート、そして自分よりもはるかに優秀なビジネスパーソンたちと働いた経験が、「プロフェッショナルとはこうあるべき」というものを教えてくれたからです。

泥くさい仕事もしましたし、夜を徹して仕事することもありましたが、無駄な時間を過ごしたとは思いません。

若造だった僕に高い視座をもたらしてくれたNikeには、今でも心から感謝しています。

一流を目指す前に、超一流を知るべき

仕事をするうえで大切なことは、やはりキャリアの早い段階で“超一流”に触れることだと思います。働く場所が変わっても、超一流に学んだことは、自分の根幹として生き続けるからです。

例えば、Nikeから転職したユニクロで学んだことは、今でも僕を支えてくれています。

ユニクロの創業者である柳井正社長の近くで働かせていただいたのですが、彼は“超一流の経営者”でした。

「バックミラーを見て仕事をしてはいけない」「後始末は前始末の3倍労力がかかる。そして、100%解決しない」など、よく持論を展開していたのを覚えています。

印象的だった発言や、尊敬すべき仕事は、全てノートにメモを残してきました。

よく“Connecting the dots.”と表現されますが、柳井社長との出会いがあって、現在の自分があります。ユニクロを退職してからいくつかの会社で働いてきましたが、彼に教わった仕事の哲学は、どの会社での仕事にも生かされました。

ノートをつける習慣ができたのは、Nikeで働いていた頃、上司から「書いて残すこと」を勧められてからです。

振り返ってみると、たしかに「書く」ということがすごく重要でした。タイプするだけだと、どうしても忘れてしまうんです。

今でも仕事に困ったときは、過去につけたメモを見返しています。柳井社長の言葉ですが、「美意識のある超合理性」なんて、普通の人からは絶対に出てこないですよね。

日々ものすごいスピードで過ぎていく日常も、メモをつけるだけで意味のある毎日に変化します。もちろん、仕事に限った話ではありません。

例えば僕は、部下が出張をする際に、「その地域で最も有名な美術館やイベントなどに行ってみなさい」と声をかけていました。アスリートであれ、アーティストであれ、いわゆる“超一流”からインスピレーションを受ける経験が、自分を飛躍させてくれるからです。

そこで感じたことを書き残せば、いつでもその瞬間に立ち返ることができます。

一流を目指すなら、まずは超一流を知るべきです。

ブランクなんて、さまつなもの

「キャリアの早い段階で超一流に触れるべき」と言いましたが、焦ったり、生き急いだりする必要はありません。必ずしも22歳で社会に出る必要はないということです。

僕は大学を卒業してすぐに社会に出ましたが、特にヨーロッパでは、“社会のスキーム”にとらわれずに生きている人たちがたくさんいました。彼らは29歳で大学を卒業したり、大学に2回入学したり、自分のライフスタイルで生きています。

日本では、キャリアの空白期間を「遅れ」として見る風潮がありますが、意味のある空白期間なら、むしろ強みにさえなると思います。

僕はNikeに入社してから、アウトレットショップでスニーカーの販売員をしている時期がありました。その期間を「遅れ」だとは思っていませんでしたが、マーケターとして働きたかったので、悶々とした毎日を過ごしていたのは事実です。

「俺は販売員になるためにNikeに入ったんじゃない!」と思ったこともありました。

でも、ショップで過ごした日々は後々、僕の武器になりました。

親御さんや子どもたち、はたまた熱狂的なファンが、どんな理由でお店に足を運び、どんなシューズを買っていくのかを間近で見ていたので、お客様の気持ちが理解できるようになったんです。

今だからわかりますが、現場を知ることは、マーケターとしてとても大事なことです。インターネットで調べて企画書を作っているだけでは、芯を食ったマーケティングはできないと思っています。

“Always look on the bright side of life.”ではないですが、どんなことにも意味があります。光を当てる場所を変えたり、見方を変えたりすれば、必ずチャンスのドアが開きます。そして、そのタイミングも人それぞれです。

だからこそ、社会の流れに無理やり合わせる必要はなく、自分の目で社会を見ればいい。

最大16年間の義務教育と高等教育で、誰もが自分の可能性を見つけられるとは限りません。算数がわからなくても絵が得意な人がいるように、人間には個性があります。

そもそも社会というのは、100人100通りの個性が生かされるべき場所です。ですから、それぞれの個性を見つけ、輝かせるためなら、多少のブランクはさまつなものだと考えてください。

熱量こそ、人生の道しるべ

また、自分が情熱を注げる環境は、年齢によっても変わります。だからこそ、今この瞬間の熱量を道しるべにしてほしいと思います。

僕が新卒でNikeに入社した理由は、サッカー部だったにもかかわらず、ジャージに「マイケル・ミノワ・ジョーダン」と刺しゅうを入れるほど、(米プロバスケリーグNBAのスーパースターだった)マイケル・ジョーダンが好きだったからです。

現在Allbirdsで働いている理由は、日本人として、クライメート・チェンジ(気候変動)をはじめ、世界に対する旗振り役ができる可能性を感じたからです。

これからもAllbirdsで働いていくつもりですが、Nikeにいたときも、ユニクロにいたときも同じ気持ちでした。要するに、人の価値観は変わります。

社会に出るタイミングを自分で決めてもいいように、いつキャリアチェンジしてもいいんです。“Change is good.”ですから、瞬間に宿る熱量を大切にしてください。

ときに、悪あがきをすることがあってもいいでしょう。

Nikeで働いていた頃に、一度不採用になった学生が、それでも諦めきれず、もう一度挑戦して内定を獲得したという話がありました。タイミングの問題もあったと思いますが、やはりパッションは困難を打破する可能性を秘めているんです。

実は僕にも、同じような話があります。レッドブルに転職できた一番の理由は、「最後まで諦めなかったから」です。

中途採用の面接で不採用になってしまったのですが、それでもレッドブルの仕事を体感してみたかったので、企画書を作ってプロジェクトを提案しにいきました。

プロジェクトそのものは実現に至らなかったのですが、僕が過去に面接を受けたことを覚えてくれていました。不採用になった経緯を話したところ、「じゃあ、もう一度面接を受けてみてよ」と。

一度は不採用だったもの、二度目の面接で内定をいただきました。悪あがきが功を奏したのです。

僕は社会人歴が長くなりましたが、今でも好奇心の赴くままにチャレンジを繰り返しています。年齢的にはいい大人でも、まだまだ気持ちは子どものままです。

挑戦する気持ちを忘れなければ、いつだって若いままでいられます。皆さんも、ぜひ“こどな”として生きていってくれたらうれしいです。

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取材:齋藤知治、文:オバラ ミツフミ、編集:佐藤留美、デザイン:國弘朋佳、撮影:遠藤素子