ビットコインをはじめとした暗号資産バブルに陰りが見えるなど、一時期に比べてさみしい話題が増えているWeb3の世界。
しかし、技術面ではもはや不可逆な変化を生み出しており、インターネットの誕生やスマートフォンの普及と同じような社会的インパクトをもたらすのは間違いない。
事実、「暗号資産の冬」と言われる中でも着々と存在感を増し、資金調達に成功するようなWeb3プロジェクトもいくつか存在している。
日本生まれのブロックチェーン「Oasys」もその一つだ。
このOasysプロジェクトで、マーケティング関連の業務を手掛ける服部国士(はっとり こくし)さんは、学生時代にWeb3関連の仕事をしながら、就職ではリクルートへの入社を選択。
Web2とWeb3の両方を知るマーケターとして奮闘している。
そんな服部さんが語る、Web3プロジェクトの「働き方の違い」とはどんなものか。一般的なプロジェクトとは一線を画する仕事ぶりと、Web3プロジェクトへの入り方を聞いた。
—— 服部さんがWeb3の世界に興味を持ったのはいつ頃でしたか?
学生留学でシンガポールに行っていた2018年の秋頃、友人の石川駿くんから話を聞いたのがきっかけでした。
彼は今、国産のパブリックブロックチェーン「Astar Network」の開発に携わっていて、当時はブロックチェーンゲームの開発会社double jump.tokyoでインターンをしていました。
一方の僕は、現地の投資ファンドでインターンをしていて。企業分析や市場調査など、新卒社員と同じレベルの仕事内容を任せてもらえたものの、失礼ながらエクセルをポチポチやる仕事に飽き始めていたんです(苦笑)。
そんなタイミングで石川くんにdouble jump.tokyoのインターンに誘われ、何だか面白そうだと興味を持ちました。
—— 2018年は、「Web3」という言葉も今ほど知られていない時期ですよね?
Web3はもちろん、NFTという言葉もほとんど知られていないような時期でした。
それでも、AIやVRなどと並んで、ブロックチェーンを使ったビジネスには将来性がありそうだったので、double jump.tokyoで働くことにしたんです。
入社順では創業から7番目のメンバーでした。
—— double jump.tokyoではどんな仕事を?
僕はエンジニアのようにコードが書けないし、ゲームのことも詳しくなかったので、それ以外の仕事は何でもやるという感じでした。
中でも僕はそれなりに英語ができたので、海外周りを一任されました。具体的にはコンテンツ作成やコミュニティづくりを通じた海外でのユーザー獲得、外資企業とのアライアンス(業務提携)サポートなどです。
分からないながら手探りでやっているうちに、社内で「マーケティング関連の仕事をやる人」として見られるようになっていました。
—— にもかかわらず、新卒ではリクルートに就職してマーケターをしていたそうですね。なぜdouble jump.tokyoでの仕事を続けなかったのですか?
僕が就職した2020年当時は、ようやくNFTが盛り上がり始めたくらいの時期で。個人的に、「このまま産業が成長し続けるだろうか?」と少し疑問を持っていたんですね。
それ以上に、double jump.tokyoではマーケティングからBizDevまで、何でもやる人になっていたので、明確な職能を身に付けないまま社会人生活を送るのが怖かった。
きちんと組織化された会社で経験を積んだほうが、将来的に役立つ専門スキルを身に付けやすいかもと考えたんです。
そんな経緯で、新卒としてリクルートのIT総合職(プロダクトグロースコース)に応募しました。
約2年ほどいたネットビジネスの部門では、「じゃらんnet」や「ホットペッパー」のSEO全般を担当しながら、さまざまな仕事を経験させていただきました。
—— そこから、再びWeb3の世界に戻った理由は?
リクルートはすごく良い会社で、居心地の良さも感じていました。
でも、僕がやっていたのは、すでに成熟したビジネス領域でパイを奪い合うゲーム。市場そのものをつくっていく仕事ではありません。
それを理解した上で就職したものの、瞬く間にWeb3の市場が大きくなり、その中で学生時代に出会った人たちが世界的に成功しているのを見て、「職能ではなく産業が成長することで人材価値が高まることがあるのか」と痛感したんです。
そんなタイミングで、double jump.tokyoの共同創業者でOasysプロジェクトの立ち上げにも携わっていた玉舎直人さんからお誘いを受けまして。
その翌日には、運営母体のOASYS Pte.Ltd.に転職するのを決めていました。