【必読】「人生の経営者」になれば、誰もが自分らしく生きられる

【必読】「人生の経営者」になれば、誰もが自分らしく生きられる


この記事に登場するロールモデル

東京大学の藤井輝夫総長が、新入生に向けた祝辞で「起業家精神を持つことの大切さ」を説くなど、かつて“起業後進国”と言われた日本でも、若い世代の起業を後押しする機運が高まっている。

しかし、起業に対する心理的ハードルの高さは、以前と比較してそれほど変わっていないように思える。


先日、経産省が発表した『未来人材ビジョン』によると、独立・起業志向のある人の割合は16%に止まった。この割合は、調査の対象地域の中で最低水準である。


こうした状況下で、経営者を目指す若者は、何を指針に、どのようなアクションを取ればいいのだろうか。


スキルマーケットプレイス「ココナラ」を立ち上げ、現在は代表取締役会長を務める南章行(みなみ・あきゆき)さんは、経営者を目指す若者に「日常の些細な選択も、自らの意思で判断するクセを持つこと」の重要性を指摘する。


また、経営者を目指さずとも、先行きが不透明な時代を生き抜くには、誰もが起業家精神を持って行動することが重要なのだそうだ。


自ら会社を立ち上げ、上場までに導くまでの間に、南さんはいったいどのような苦労をしてきたのだろうか。その苦労から、どのような学びを得たのだろうか。


今日は、ココナラの創業から今日までに至るエピソードをひも解き、若者が持つべき起業家精神について教えてもらおう。

南章行さんプロフィール

目次

挫折で気が付いた、経営者の素質


—— 三井住友銀行でアナリストとして働かれ、企業買収ファンドのアドバンテッジパートナーズに転職。オックスフォード大学にMBA留学もされています。経営者になることを志して、キャリアをつくってきたのですか?


いやいや、自分が経営者になるとは夢にも思っていませんでした。むしろ、「自分には向いていないだろう」と、起業という選択肢を意識的に遠ざけていたくらいです。


私の父は会社を経営していたのですが、どちらかというと天才肌タイプで、自分はそういったタイプではなかったんですね。


そんな父でさえ、会社経営には苦労していました。職人としての才能はあったのでしょうが、今になって思えば経営の資質には欠けていたんです。


とはいえ、私にとって父はスーパーマンのような存在でした。そんな彼でさえ苦労するのだから、自分には経営なんて無理だろうと思い込んでいたのです。


三井住友銀行に入行したのは、将来的な起業を考えての選択ではありません。


父のように、真面目に働いていても経営に苦労している人を助けたくて、企業再生を仕事にしようと考えての決断でした。

—— 経営者を支える仕事をしていた南さんが、それでも会社を起業して経営者になる道を選んだのには、どのような背景があったのですか?


働いていくうちに、経営者を支えるよりも、経営をするほうが、自分に向いているのではないかと思うようになったからです。

南章行さん1

銀行員時代の最初の仕事は、当たり前のように支店配属でした。


ただ、企業再生の仕事がしたいことは入社前から伝えており、成績もすこぶる良かったので、数年後には希望がかなって調査部に配属してもらえたんです。


異動が実現してからは、担当業界の調査レポートの作成や、融資先の財務状況の格付けなどが基本業務で、ときには経営危機に瀕した企業の再生プランの原案をつくることもありました。


どれも、学生時代からずっとやりたかった仕事です。


ただ、当時はバブル崩壊後の銀行再編の最中にあり、やがて様子がおかしくなります。どの銀行も生き残ることに必死で、それは三井住友銀行も例外ではありませんでした。


融資先を再生するなんて、夢物語です。まずは、自分たちの経営状況を立て直さなければいけない。


そこで、自分が本当にやりたいことをやるために、PEファンドへの転職を決断しました。

資料1 FPファンドとは?

ここからが、苦しかった。


転職したPEファンドで、私はまったく役に立たなかったのです。


まず、経営の知識がないので、周囲の会話についていけませんでした。何を話しているのか理解できないけれど、それを丁寧に教えてくれるわけでもないので、ずっと分からない。


1年目の人事面談で「みなさんすごい方ばかりで、学ばせてもらっています」と話したら、社長にこっぴどく叱責されたこともあります。


「君はこの業界で一番になる気概はないのか。そもそも君にはほかの人に負けない強みもない。今の姿勢のままでいるなら、辞めてもらうしかないよ」と言われてしまう始末です。


—— 銀行員時代の実績が、まったく通用しない世界だったと。


銀行時代はトップクラスの成績を収めていましたし、難易度の高い証券アナリストの資格にもトントン拍子で合格していました。希望通りの配属も獲得して、それなりに活躍していた自覚があったんです。


銀行員時代の感覚で、「そのうち何とかなるだろう」なんて思っていましたが、そのスピード感そのものを否定されてしまいました。


—— ビジネスのプロフェッショナルが集う世界での挫折が、経営者になる道へとつながっているのですか?


本当のプロたちが集う世界では、僕の論理的思考力は歯が立たなかったし、事業を再建する能力でも勝ち目がなかったんです。


バックグラウンドがあるファイナンスで勝負したり、難解な書籍を読み漁ってハードスキルを積み上げたりした結果、7年半の在籍期間でそれなりの成果を残すこともできましたよ。


でも、あくまで「それなり」です。


ここから歯を食いしばってパートナーを目指す選択もできましたが、あまり現実的ではないし、それが自分らしいキャリアだとは言い切ることはできなくて。

南章行さん2

一方で、得意なこともありました。


相手の懐に飛び込んで信頼関係を築いたり、人を巻き込んでチームをつくったりすることは、人よりも少しだけできたんですね。


わらにもすがる思いで必死に努力した過程で見つけた小さな強みでしたが、それを頼りに生きていくほうが、よっぽど自分らしいと思えました。


そして、その自分らしさを生かした仕事こそが、経営者だったんです。


魅力的な旗を立てる、という仕事

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