「人の暮らしの中で、花と緑をもっと身近にしたい」という思いから、テレビアナウンサーという人気職種を辞め、起業した女性がいる。
SUDELY(スードリー)代表の前田有紀(まえだゆき)さんだ。
「毎日が新鮮で、刺激的な仕事に憧れていた」という前田さんは、新卒でテレビ朝日のアナウンス部に入社。報道からバラエティーまでさまざまな番組で活躍した後、留学と花屋での修行経験を積んで独立した。
経歴だけを見れば、なんでも器用にこなせるように思える。ところが、今の仕事は「苦手なことだらけ」なのだという。
「できないことがたくさんあります。だから、『これが私の天職です』なんて言えないというのが本音です」。
苦手なことや、できないことがたくさんある。それでも、自分らしいと胸を張れる人生を送れているのは、どうしてなのか。
「自分で考えて、自分で決めているから、人生にやりがいと納得感があるんです」と語る前田さんに、自分らしい仕事に出会うヒントを聞いた。
—— アナウンサーから経営者に転身するというキャリアは、もともと描いていたものだったのですか?
経営者になるなんて思ってもみませんでしたし、実は、アナウンサーになることも想像していませんでした。学生時代の私に、「この仕事に就きたい」という具体的な目標はなかったんです。
夢に向かって突き進んできたというより、人生の節目で、もっとも心が躍る選択肢を選んできた積み重ねが、現在の私です。
—— 学生時代は、どのような就職活動をしていたのですか?
商社や広告代理店、メーカーなど、業界を絞らずに選考を受けていました。周囲の影響を受けたのもありますが、もともと好奇心旺盛なタイプだったので、自分の目でいろいろ見てみたかったのです。
アナウンサーは、好奇心のアンテナに引っかかった仕事の一つでした。選考が早かったので、腕試しのつもりで受けてみよう、という気持ちもありましたね。
—— いくつかの選択肢があったのですね。最終的に、アナウンサーになることを選んだ理由について教えてください。
どこよりも早く内定をいただけたのと、好奇心旺盛な私にぴったりな仕事だと思えたからです。
私の父は国際線のパイロットで、世界各国を飛び回っていました。そんな姿を見ていたので、かつてはパイロットを目指していたこともあります。毎日が新鮮で、刺激的な仕事に憧れていたんです。
また、私よりも少し早く社会に出ていた姉は、テレビ局で記者をしています。彼女から「テレビ局の仕事は、毎日いろいろなニュースが飛び込んでくるから、同じ日が一日もないよ」と聞いていました。
姉の話を聞いていると、アナウンサーになれば、幼い頃から憧れていた仕事ができるような気がしました。
確固たる「やりたいこと」は見つかっていませんでしたが、毎日のように新しい景色に出会える仕事がしたかった私にとって、アナウンサーはとても素敵な仕事に思えたのです。
—— アナウンサーとして、10年間テレビ局に勤務されていました。当時を振り返り、学生時代の選択は間違っていなかったと思いますか?
もちろんです。入社してからずっと『やべっちF.C.』を担当していたので、「前田といえばサッカー」という印象を持ってくださっていた方が多いかもしれません。でも、実はほかにも、いろいろな番組を担当していました。
報道からバラエティまで幅広く関わらせていただきましたし、食レポも担当していました。ロケで全国を飛び回ることも多く、私にとってアナウンサーは、まさに「毎日のように新しい景色に出会える仕事」だったのです。
「ご縁をいただいたのだから、目の前のことを頑張ろう」とがむしゃらになっていたら、気付けば10年が過ぎていました。やりがいにあふれた仕事で、ファーストキャリアにアナウンサーを選んでよかったなと、今でも思っています。