ベンチャーキャピタルの仕事は「総合格闘技」成長支える3つの思考法

2022年4月4日(月)

ベンチャーキャピタルは「世界を前進させる装置」

—— 高宮さんが考える、ベンチャーキャピタリストの定義について教えてください。

あえて定義をするなら「イノベーションを普及させ、世界を一歩前進させる社会装置」でしょうか。

VCはLP(Limited Partner:機関投資家やグループ企業など、VCが運営するファンドへの出資者)と呼ばれる投資家から預かったお金をスタートアップ企業に投資し、投資先の成長をファイナンスと経営の両面で支援する仕事です。

起業家に伴走し、エグジットと呼ばれるIPO(Initial Public Offering:新規株式公開)または、M&A(Mergers and Acquisitions:企業の合併・買収)で株を売却して、投資家にリターンをお返しします。逆に、エグジットに至らないとお返しできません。

投資家に経済的リターンをもたらすことだけが、私たちの役割ではありません。また投資家も、経済的リターンを得ることだけが目的だとは限りません。

実際、イノベーションの普及や雇用の創出などの社会的価値に、起業家への投資を通じて貢献しようというモチベーションを持っている投資家は少なくありません。

金銭的リターンと社会的意義という、近視眼的に捉えると対立しそうな2つのモチベーションを、スタートアップ投資という仕事を通じてうまく両立させる——。VCは、社会インフラ的な役割を担う組織体だと思っています。

—— 投資先となるスタートアップ企業だけではなく、VCに資金を提供する投資家、そして社会にも向き合う職業なのですね。

皆さんが目にしやすいVCの役割はおそらく、スタートアップ企業への支援、つまり「起業家に対しての価値提供」だと思います。

もちろん、そうした「スタートアップ投資家」としての動きは主たる役割ですが、同時に「ファンドの運営責任者」としての責任も背負っています。

僕ら自身も投資家から資金調達をするのですが、僕は海外からのファンドレイズ(投資家を集めファンドを組成すること)を担当しているので、起業家の皆さんの苦労が身に沁みます。

投資家とVCの関係性は、VCと起業家の構造に似ています。VC自体もファンドという“プロダクト”を持つスタートアップ企業であり、そのプロダクトに対して投資家に出資してもらっているのです。

ベンチャーキャピタリストは「総合格闘技」

—— ベンチャーキャピタリストの主な仕事についても、詳しく教えてください。

VCによってスタイルは異なりますが、私が所属するGCPは、いわゆる“ハンズオン型”と呼ばれるVCです。所属するベンチャーキャピタリストは職位に関係なく、ソーシング(投資対象企業を探すこと)からIPOやM&Aといったエグジットまで、一気通貫で投資先を支援します。

その過程で、ベンチャーキャピタリストが投資先の社外取締役などに就任し、資金提供以外で経営支援も行います。これが、「バリューアップ支援」と呼ばれる業務です。

投資のためのデューデリジェンス、投資実行、経営支援、エグジットまで、全タイトルのベンチャーキャピタリストが同様に担当するのがGCPの特徴です。

ディレクターやパートナークラスになると、そうした投資業務にプラスアルファで、VC自体の経営も担当します。普通の会社に例えるならば、ディレクターは執行役員、パートナーは取締役と投資の現場を兼務するというイメージです。

—— 「バリューアップ支援」は、ハンズオン型VC特有の業務だと思います。具体的には、どのような支援を行うのでしょうか?

企業によっても異なりますが、基本は、経営や事業戦略面で、CEOや経営陣の相談や壁打ち相手になり、悩みや要望に応じて、GCPのリソースやノウハウを提供しています。

そのため、マーケティングやファイナンスといった個別の業務に特化して支援するというよりも、究極的には「経営者が考える全領域」を幅広く支援できる必要があります。

これが、私がよく「ベンチャーキャピタリストの仕事は総合格闘技」と言っているゆえんです。また、どこまでいっても完成形に到達することがないので、「日々成長」で楽しいところでもあります。

このとき、経営を支援するうえで大切にしているのが、私たちが投資先にとって“不可欠なパーツ”にならないことです。

アーリーステージで投資すると、5年から7年くらい伴走するのですが、VCがエグジットした後も、その企業は経営を続けていきます。投資家である私たちは、究極的には投資先に100年企業、1000年企業になってもらいたいと思っています。

しかし、僕らはずっと支援し続けるわけにはいかず、いつか投資先から離れなければいけないので、どれだけ支援をして感謝されても、私たちが手を離すことによって事業が成り立たなくなってしまっては本末転倒です。

ですから、例えば最初だけ一緒につくることをします。戦略のつくり方、仕組みや制度の設計の考え方を伝えるといった、OSをインストールするような部分はお手伝いするということです。

でも、実際にその仕組みを回したり、業務自体を代わりにやるようなことをして、日々のオペレーションを回す上での不可欠なパーツにならないように心がけています。

これを前提にしつつも、それでもオペレーションのレイヤーで支援するのが、CxO(企業活動における業務や機能の責任者)といったキーマンの採用支援です。

Photo:iStock / kyonntra

優れた人材を投資先に迎え入れることができれば、自走できる組織体制の構築につながります。企業価値評価に対するインパクトも非常に大きい。ですから、採用支援は僕らも積極的に手を動かすようにしています。

日本では比較的先進的な取り組みとして、組織開発はGCPが、キーマン採用は「GCP X」という投資先支援を専門にしているバリューアップチームが行っています。

—— VCはビジネスモデルの特殊性から、「Entrepreneur behind Entrepreneurs(起業家の背後にいる起業家)」と表現されることもあると聞きました。GCPの代表パートナーとしてファーム全体の経営にも携わる高宮さんは、VC経営の特徴をどのように捉えていますか?

VCの経営が普通の会社と大きく違うのは、ファンド(特定の投資目的によって組成された、資産運用のための組織体)とファーム(会社そのもの)という2つの主体に対する戦略を、同時に考えなければいけないことです。

「ファンドの戦略」とは、ファンド全体として、どういう領域に、どんな構成比で投資をして、どんなポートフォリオを構築するか、どのようにリターンを出すかを考えることです。

「ファームの戦略」とは、複数のファンドを抱えながら、会社全体としてどう持続的成長や競争優位を構築するかを考えることです。この2つが並行して走っているのが、VCの経営の特徴だといえます。

一般的な事業会社の、事業戦略と全社戦略の関係に似ているのですが、VCの場合はファンドごとに投資家の比率が違うため、それぞれのファンドの視点で考える責任がありますし、事業部と違いそれぞれのファンドに期限が設けられています。

全体最適と部分最適、長期と短期のバランスを最適化しながら、ファーム戦略とファンド戦略のそれぞれを考えなければいけない点は、VCの経営における最も難しい点かつ面白い点です。

ベンチャーキャピタリストは「スキルよりマインドセット」

—— 未経験者がベンチャーキャピタリストを目指す場合、どのようなバックグラウンドを持っていることが望ましいのでしょうか?

ベンチャーキャピタリストのバックグラウンドとして昔から多かったのは、コンサルや投資銀行などプロフェッショナルファーム、GREEやDeNAといったテック企業、リクルートや商社といった大企業の新規事業部門、スタートアップなどでマネジメント経験のある人です。

ただ、ここ数年でVC業界も多様性が増しており、新卒も含め今では様々なバックグラウンドの人が活躍しています。

Photo:iStock / monkeybusinessimages

身もふたもないことを言うと、ベンチャーキャピタリストという職種の場合、「これがあれば絶対にうまくいく」という特定のバックグラウンドは存在しません。必要なスキルや経験は、「どんなキャピタリストになりたいのか」に大きく依存します。

先ほど、「ベンチャーキャピタリストの仕事は総合格闘技だ」という話をしましたが、総合格闘技には、空手やボクシング経験者で立ち技が得意、ないしは柔術やレスリング経験者で寝技を得意とする選手がいるように、とっかかりとなる強みがあると始めやすいというのはあります。

一方で、ゼロから総合格闘技を始め、それで世界一のタイトルを獲るようなアスリートだっています。

VCの世界も同様で、たとえ新卒や未経験で始めたとしても、「どんなベンチャーキャピタリストになりたいか」「どんな起業家を助けたいか」という明確な目指す“キャピタリスト像”があれば、スキルセットは後からでも習得できます。

「どうしたらベンチャーキャピタリストになれますか」「何を強みにしたらいいですか」といった問いは、「起業家にはどうしたらなれますか」という問いに似ています。

事業領域ごとに有利なスキルや経験は存在しますが、スキルや経験があるからといって必ず成功するわけではありませんし、それらは起業した後に身につけることもできます。ベンチャーキャピタリストも同様です。

ですから、自身のバックグラウンドや経験から強みをむりやり探し求め、「その領域しかやらない」と視野狭窄に陥るのではなく、むしろゼロから自分なりの強みを構築して、勝ちパターンをつかむぐらいの気概で挑戦してほしいと思っています。

「こういうことを成し遂げたい!」「こういうキャピタリストになりたい!」という思いの強さが大事だと思います。

—— 高宮さんの視点で、ベンチャーキャピタリストに向いている人には、どのような素養があると感じますか?

繰り返しになりますが、ファイナンスやマーケティングといったスキルは、後からいくらでもキャッチアップできます。むしろ大切なのは、3つのマインドセットだと思っています。

1つ目は、「起業家マインド」。ベンチャーキャピタリストとは、定型化された仕事や指示された仕事が存在しない、“答えがない職業”です。自分で「問い」の設定から始め、悩みながら答えを模索する、起業家的な突破力やマインドセットが求められます。

2つ目は、「人が好きであること」。ベンチャーキャピタリストという職業は、起業家との人と人との関係性によって成り立つ仕事です。ですから、起業家とはお互い腹を割って話せ、深いところでつながれないと、意味のある支援はできません。

翻って、人と会うのが億劫に感じてしまったり、仕事で踏み込んで深い関係性を築くのに抵抗があったりする方にとって、ベンチャーキャピタリストはつらく感じてしまうかもしれません。

最後に、「好奇心と成長意欲」です。私たちベンチャーキャピタリストの役割は、新しい領域に挑戦する起業家に伴走することなので、常に彼ら・彼女らと同じ目線で新しいものにアンテナを張り、それに面白さやパッションを感じ続けられないといけません。

欧米で有数の投資ファンドであるエイパックスの創業者、アラン・パトリコフは、ベンチャーキャピタリストの鑑のような人物です。彼は、かつてアップルやインテルにも投資した東海岸の伝説的なベンチャーキャピタリストでもあります。

アラン・パトリコフさん(By Internet Week New York - Internet Week Day 1, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=71372806)

エイパックスは、事業戦略上の判断でVC業から手を引くことになりました。そのとき、創業者の彼は「自分はベンチャーキャピタリストの仕事が好きだ」という理由で創業したエイパックスを去り、70歳を超えて新しいVCを立ち上げたのです。

彼は、80歳を超えた今でも「このアプリ面白いだろう。俺が投資してる企業のアプリなんだ、君も使ってみろ」なんてことを、うれしそうに話します。何歳になっても好奇心旺盛な彼を見ていると、「ベンチャーキャピタリストとはこうあるべし」とつくづく思います。

ベンチャーキャピタリストは「生き方そのもの」

—— 高宮さんが思う、ベンチャーキャピタリストのやりがいや楽しさを教えてください。

「起業家とファーム」ではなく、「起業家とキャピタリスト」という1対1の人間関係で仕事ができることです。

例えば、支援している起業家が困難に直面すると「高宮さん助けてください」と頼ってくれますし、起業家がうまくいくと「高宮さんありがとう」と言ってもらえる。

そうした仕事を続けていくと、起業家がVCから資金調達をする際に、「高宮さんだから」という理由で指名してくれるようになるんです。

こうした関係性で、長ければ10年以上もの間、起業家とお付き合いしていくことになる。そうすると、最終的にはただの仕事仲間ではなく、人生の友人のような間柄になります。

それこそ、夜中に起業家から相談が来て、「じゃあ今から飲みに行こうか」と出かけることもしょっちゅうあります。

それを仕事と捉えると残業になりますが(笑)、刺激的で面白い友だちと、社会的にもプラスになる同じゴールに向けて楽しく一緒に走っていると思うと、むしろ心が躍りますよね。

私にとってベンチャーキャピタリストとは、仕事というより「生き方そのもの」みたいな感覚があります。仕事とプライベートと切り分けて考えているわけではないんです。

ですから、人生の友人である起業家に感謝してもらえ、戦友のような深い関係になれることが、最もやりがいを感じます。

—— 一方で、スタートアップビジネスは環境変化が激しく、VCの投資成功率(投資額以上のリターンが回収できる割合)は1割程度とも言われます。苦労や難しさを感じる瞬間も多くありそうです。

苦しい瞬間は多くあります。特に苦しいのが、支援先企業が「Jカーブ」のマイナスの曲線を描く時期。投資序盤の数年間はハード・シングスの連続です。

複数の支援先がハード・シングスに直面することもあります。

困難を乗り越えて成長軌道に乗る企業がある一方で、経営がうまくいかない企業は、投資から数年経たずして会社を畳んでしまうということもあります。そうした時期は、支援するベンチャーキャピタリストにとってもつらい日々が続きます。

「Entrepreneur behind Entrepreneurs」という表現をしてもらいましたが、まさにその通りです。ベンチャーキャピタリストにもスタートアップと同様に「Jカーブ」が存在します。

Jカーブの苦しい時期には、ベンチャーキャピタリストにも、それを乗り越える原動力が大事になってきます。その原動力とは、スタートアップ投資という仕事に対する情熱や、起業家が本当に好きといったピュアな感情です。

ベンチャーキャピタリストは、1つの案件に対するコミットメントの時間軸が長い仕事です。ベンチャーキャピタリストになって14年になりますが、原動力やモチベーションこそが、この仕事をやり続ける支えになるのだと実感しています。

若者よ、心が躍る旅路を歩め

—— 日本を代表するVCとして活躍されている高宮さんも、かつては自身で起業をすることも考えたと聞きました。

私はいわゆる“76世代(ナナロク世代)”で、インターネットが普及する90年代半ばに大学生活を過ごしました。歴史と自分の実体験が連動しているような強烈な感覚と熱狂があり、大学の友だちも次々に起業していました。

その一方で僕は、「失敗しない事業テーマって何だろうか?」とか「自分に経営ができるのだろうか?」とか思い悩んでしまい、最終的に起業に踏み出すことができませんでした。簡単にいうと、日和って石橋を叩き割ってしまったのです(笑)。

一方で、コンサルやVCで働くことを通じ、投資家やアドバイザーとしての役割が得意なのではとも感じられるようになりました。1を100にするための支援や、その仕組みづくりをする役回りです。

過去に起業を志すも飛び込めなかった経験から、いまだに起業家に対する淡い憧れやコンプレックスが胸のどこかに残ってはいます。

だからこそ、実際にリスクを取って踏み出した起業家に対しては、常にリスペクトの念を抱いています。私たちベンチャーキャピタリストは結局、自分たちでできないからこそ、起業家に懸けているのです。起業家の船に「乗せてもらってる」という感覚です。

起業家たちの仲間に入れてほしいからこそ、いちベンチャーキャピタリスト、VCファームとしてできる最大限の貢献をしたいと、常々思っています。

—— 先日、経団連が「スタートアップ企業の育成に向けた提言」を発表し話題を集めました。今後日本でも、起業やスタートアップへの注目度がますます高まることが予想されますが、そうした時流の中でベンチャーキャピタリストとして働く魅力を教えてください。

メルカリが上場した2018年を皮切りに、日本から3年間で11社のユニコーン上場が生まれました。絶対数としてまだまだ少ないですが、3年間での増え方としてはいいペースだと思っています。

そう思うと、日本におけるスタートアップおよびVC業界というのは、産業史的にはまだまだ黎明期にあると言えます。マーケットはこれから広がり続けるでしょうし、縮小する産業が多い中、社会的役割も相対的に大きくなるでしょう。

そうした潮流を見れば、新しい企業、新しい産業を生み出すベンチャーキャピタリストという職業が、社会的意義の大きい仕事であることは間違いありません。

なおかつ、まだまだ業界全体が立ち上がり始めたばかりなので、このタイミングでVCの門を叩くからこそ味わえる、市場を切り開いていく“起業的”な楽しさや醍醐味もあります。

一般論になってしまいますが、ベンチャーキャピタリストに限らず、世間での見られ方や金銭的な報酬の大きさで仕事を選んでほしくはないなと思います。

先行きが不透明な今の時代は、画一的かつ相対的に定義された成功を追い求めても、「幸せ」になれないと思っています。むしろ、“到達点は分からないけれど心が躍る旅路”に出て、気付いたら楽しい場所に行き着いた、旅路の道程が楽しいみたいな感覚で人生やキャリアを選択したほうが、「幸せ」になれるのではないかと思います。

ベンチャーキャピタリストも同様で、格好良いからやる、もうかるからやる仕事ではありません。キラキラしているように見えるかもしれませんが、泥臭くタフな部分もありますし、給料のためだけならもっと効率的に稼げる職種はあります。

社会的意義や自己実現、自己成長といった、金銭面以外の報酬が多い職業なのです。そういった面にベンチャーキャピタリストの魅力を見いだしてくれるのであれば、今のスキルやこれまでの経験に引きずられず、ぜひその道を目指してほしいと思っています。

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取材・文:鈴木朋宏、取材・編集:オバラ ミツフミ、伊藤健吾、デザイン:石丸恵理、撮影:是枝右恭