2度の転職→インドで動物病院を開業「未経験でも結果を出す」仕事術

2022年3月22日(火)

ペットの光と闇を知った大学時代

── 現在、インドや日本で動物病院を経営しています。なぜ、インドで動物病院を立ち上げようと思ったのですか?

南アジアでも、日本と同じようにペットブームが訪れています。インドでは2030年に犬猫が約8100万頭にまで増えると言われています。

しかし、その頭数に対して圧倒的に獣医師の数が足りません。

日本では、犬猫1000頭に対し獣医師が1人いると言われていますが、インドの場合、犬猫4000頭に対し獣医師が1人しかいないと言われています。

ペットはお金があれば誰でも買えるのに対し、獣医師は国家資格なので、ペットの数が急速に伸びたとしても、獣医師の数は徐々にしか伸びません。

すると、どんな課題が浮上するか? 

ペットへの医療供給量が足りなくなり、一部の犬猫しか治療を受けられなくなります。その課題に注目し、解決したいと思ったのが起業のきっかけです。

Photo:iStock / zoranm

── なぜ、そこまで動物に対して熱い思いがあるのですか?

私は幼少期から野球に打ち込んでおり、大学時代には慶應義塾大学の体育会野球部に入部をしプロ選手になることを目指していました。ところが、練習中に、左膝の半月板と靭帯を断裂してしまい、野球を続けることが難しくなりました。

── 怪我で、プロを目指すことができなくなったのですね。

慶應義塾大学に入学したのも、そのための受験勉強を頑張ったのも全て、プロを目指せる環境で野球をするためでした。

なので野球という道がなくなった途端、生きる意味すらも見出せなくなり、今後、自分は何をやったらいいのだろうと絶望しました。

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そんな時、私が落ち込んでいることを心配した家族が、ラブラドールレトリバーを家に連れてきてくれたんです。

「でん」と名付け、そこから毎日でんと過ごす日々が始まりました。

犬ってこちらが「ギブ」し続ける一方で、犬からは何もしてくれないんですよね(笑)。なのに、不思議とこちらが幸せな気持ちになっている。それに驚くと同時に、犬の存在の大きさに気付かされました。

でんと過ごすうちに、私の中にあった暗い感情は消えていました。大げさに聞こえるかもしれませんが、私はでんから、何があっても絶望せずに、自分で生きる道を見つける大切さを学んだように思います。

── そこからなぜ、ペットビジネスを立ち上げたいと思うようになったのですか?

でんをドッグランに連れて行った日、そこで出会った方に我々の地域に保護犬猫のためのシェルターがあることを聞き、その存在を初めて知りました。

シェルターって何だろうと調べてみると、保護犬・保護猫を預かる場所だ、と。実際にシェルターにも行き、何度かボランティア活動を行いました。

犬猫を保護して、新しい飼い主が決まるまで世話をする活動は素晴らしいと思った一方で、たとえ飼い主が見つかっても、次から次へと新しい犬猫が保護されシェルターに送られてくることに課題を感じました。

何か根本的な解決はできないのか、企業体として永続的に解決していく仕組みを作れないのかなと思ったことが、ペットビジネスに挑戦したくなったきっかけです。

「泥臭さ」を身に付けに証券会社へ

── ところが、新卒では野村證券に入社したのですね?

ペットビジネスをやりたい気持ちはあったのですが、当時は起業という選択肢が頭の中にはなく、ペットの課題を本気で解決しようとしている会社も知りませんでした。

将来いつか、ペット業界の課題を解決するためにも、新卒では最も成長できる環境に身を置きたいと考えたんです。

就職活動をする中で、当時人気のあった投資銀行やコンサルティングファームからも内定をいただきましたが、自分に不足していた「泥臭さ」を体得し、挑戦できる環境と感じたのが、野村證券の営業職でした。

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── 野村の営業といえば、昔からノルマが厳しいことで有名です。

実際、厳しかったです(笑)。

私は(当時)日本で1番大きな京都支店に配属されたのですが、本当にインターネットのクチコミに書いてあるような飛び込み営業スタイルで、1日100軒ほどピンポンを押して回る日々でした。

── しかも、京都は一見さんに難しそうですよね。

それでも100軒ほど回っていると、2軒くらいはお話しすることができます(笑)。ビギナーズラックだったと思いますが、お取り引きしてくださる方がいたり、そこから別のお客様を紹介していただくことができました。

在籍期間は非常に短かったので参考になるか分かりませんが、計画通りの成果を上げることができたんです。

ペットビジネスに舵を切る

── 野村證券の仕事も満足していた、と。それがなぜ、畑違いのペットメディアPECOの運営に携わることになったのですか?

大学生の時、PECOでインターンをしていたのです。

野村證券には海外修練制度などもあり、将来的にはチャレンジしてみたかったのですが、PECOの岡崎社長(岡崎純さん)に「戻ってこないか」と誘ってもらって、そこで初めて「辞める」という選択肢ができました。

おそらくこの時、野村で何も成果が出せてなければ悔しくて辞めようと思わなかったのでしょうが、一定の手応えは感じていたので、これをもう3〜4年繰り返すより、夢だったペットビジネスで自分を試したいと、辞める決意をしました。

── 退職してPECOに出戻ったあとは、どのような仕事をしていたのですか?

当時は全社的に動画メディアを使っての広告事業と新規事業の立ち上げに力を入れていたので、私も動画メディアのグロースにかかわり、広告によるマネタイズなどの責任者を務めていました。

Photo:iStock / akinbostanci

とはいえ、メディアのグロースなんて全くやったことありませんでした。

「ベンチャーあるある」で、何でもやってくれという雰囲気でした。なので、時にはコンテンツ制作もしていました。

独立後すぐ資金調達できた理由

── そのPECOでの仕事から、今のような病院経営にキャリアの舵を切った理由は?

PECOのユーザーは、月間で100万、200万、500万、1000万と増えていき、デジタル上の数値はどんどん伸びていきました。エキサイティングな経験でしたし、メディアのグロースに関して多くの学びを得ることもできました。

一方で、「自分は目の前の1匹、2匹は救えているんだっけ?」と葛藤するようになったんです。

デジタル上の数字を動かすだけではなくて、よりリアルで手触り感のある仕事をしてみたいという思いが次第に大きくなりました。

── それで起業を?

実はそうではなく、PECOに入社した当時から、岡崎さんには「海外事業をやってみないか」という声をかけていただいたんです。どんな事業でもいいから自由に何かやってみて、と。

そこで、最初はPECOの子会社という形で、インドで動物病院事業をスタートさせました。

全て自由にやっていいということだったのですが、活動資金が潤沢にあるわけではなかったため、自分で資金を調達していく必要がありました。幸い3カ月ほどで1億円程度の投資確約を得ることができました。

しかし、投資を受ける条件として、PECOと私の株の保有比率を逆にしてほしいと言われたんです。当時、株は私が20%、PECOが80%保有していました。それでは意思決定にPECOが大きく関わってきてしまうからということでした。

そこで、MBOをしてPECOから独立させてもらいました。

── 動物病院事業に携わった経験も、経営の知見もなかったにもかかわらず、なぜ資金調達に成功できたのでしょうか?

おっしゃる通り、私には本当に何もなかったです(笑)。

そんな中、投資家に何を伝えるかというと、「思い」と「市場性」の2点です。

思いに関しては、自身がペットに救われたという実体験と、PECOで働きながら感じた違和感から、これからはリアルな数字を動かせるようになりたいということを伝えました。

市場性に関しては、インドの動物病院不足の課題と、これからますますその課題感が大きくなることを伝えました。

もっとも、実際はこの事業が上手く行くだろうと投資してもらえたというよりも、上手く行くかは分からないけど、「君を応援したいから」と投資してくれる方が多かったと思います。

── 具体的にどういった方々に声をかけていたのですか?

個人投資家が中心です。

インドでのビジネス経験もなかったので、細かい事業計画を作りこむことに時間をかけるよりも、思いや市場の可能性に投資をしてくれる投資家を見つけるために、とにかく投資家と会う数を増やしました。

最初から正直に「収益化には、時間がかかるかもしれません」とお伝えし、それでも長期的に応援したいと言ってくれる人だけが結果として株主となっていただくことができました。

「共感を生む力」は世界で通用する

── しかし、コネがないインドでいきなり動物病院を開業するのは、大きな挑戦です。最初の一歩は何だったのですか?

インドでの実活動は弊社COOの権(Ohhun Kwonさん)に任せていました。権と議論をして、まずはインドで獣医師を探しました。

写真前列の一番右が、アルダCOOの権(Ohhun Kwon)さん

といっても、当初はインドでどのように採用を進めればいいか分からず、LinkedInでとにかくDMを送りまくっていました。でも、ほとんど返信は来ません。

そこで競合に当たる動物病院を訪問して、良い獣医師を紹介してほしいと声をかけて回りました。

── 競合に「獣医師を紹介して」とは図々しいというか、大胆ですね(笑)。

向こうの動物病院からしても、大切な医者を他社に紹介するのは嫌ですよね?でも、何か協力していただけないかと伝えたところ、薬剤メーカーや薬の卸事業者を紹介してもらうことができました。

そこで紹介してもらった薬の卸売会社の社長さんに、インドで高名な獣医師のシャルマ先生を紹介してもらったんです。インドのシン前首相の犬を診ているほど、有能な方でした。

── シャルマ先生は、今DCC Animal Hospital(インドで展開している動物病院グループ名)の総院長を務めています。それだけ実績のある人をどう口説き落としたのでしょうか?

インドにあるDCC Animal Hospitalの外観

初めてシャルマ先生にお会いした時は、彼がそれほど有名な方とは知りませんでした。

ただ、がむしゃらだった私たちは、インドの業界課題や、インド全体の医療の底上げのためにテクノロジーを駆使する必要性などの思いをぶつけたのです。

正直に、私たちは、当初「シャルマ先生にも他の動物病院の5分の1程度の給料しか出せない」ということも伝えました。

それにもかかわらず、彼は私たちの思いに強く共感してくれ、「自分のラストジョブにしたい」と言ってくれたんです。

動物病院で獣医師として働くだけでなく、インド全体での医療の底上げや病院の経営にも携わることができることが、響いたようでした。

── また、世界で最も高名な獣医師の女性をアドバイザーに迎えたことで、動物病院事業が軌道に乗ったと聞いています。

テレサ先生ですね。彼女は小動物の外科の教科書を世界各地で出版しているほどの人です。

彼女が私たちの事業にジョインしたことは、他の先生からすると衝撃でしかなかったようです。業界内で、一定の信頼を得ることにはつながったと確信しています。

── テレサ先生にはどう出会ったのですか?

アルダの日本人獣医師の渡辺が、上海の獣医師フォーラムに参加した時に、登壇していたテレサ先生に声をかけ、アルダの事業についてプレゼンをしたんです。

そうしたら、テレサ先生が興味を持ってくれ、僕と権とZoomで話すことになり、事業について説明をすると、南アジアに目を付けていることは慧眼だと評価してくれました。

一度、インドに来て獣医療の現場を見てみませんか?と誘ってみると、快諾してくださり、航空券を手配し、招待しました。

── 実際、インドに来てもらい、どうなりましたか?

インドとタイを1週間ずつ回ったのですが、インドには好感を持てたものの、タイは立ち上げ最中ということもあり、当時の現地の潜在的なパートナー候補に対して少し不安を感じたようでした。

そこで、タイとのパートナーシップを解消してもいいからテレサ先生と一緒に事業をやりたいと明確に伝えました。

Photo:iStock / Natee Meepian

その思いが伝わったことに加え、彼女自身も20年以上感じていた動物病院不足とデジタル化の必要性を愚直に問題提起していることに共感してくださり、ジョインしてもらえることになりました。

成果は「試行回数」×「成功率」

── 奥田さんは、野村證券時代から未経験の領域でも成果を出し続けています。未踏の領域でも成果を出す秘訣とは?

私は、挑戦する前から、自分はこれが得意だ不得意だとは思わないようにしています。

まだ若いし何でもできるだろうと思っているので、まずは何でもやってみて、その中で「自分はこれが得意なんだ」「これは周りの人は苦手だけど、自分は比較的得意なんだ」などと冷静に自己分析しています。

人は何かする時はなんらかの目的があると思いますが、その実現に向かって進む時に、私は手段は何でもいいと思えるタイプです。

例えば、私は営業は得意なほうだと思いますが、ずっと営業をやりたいとは全く思っていません。しかし、動物と人が幸せに暮らせる社会を作りたいという目的を実現する手段として営業が必要ならば、もちろん営業に励みます。

また、成果は「試行回数×成功率」だと思っています。

大体の人が成功率をハックしたがりますが、それより、試行回数を増やすことが第一優先だと思っています。回数を重ねることで、成功率が上がる打ち手も見えてくると思うので。

1日の24時間のうち、仮に8時間働き、8時間寝れば、あと8時間は余ります。

私はその余った8時間をどう使うのかで人の能力は大きく変わると思っていて、ここをどう使うか、ものすごく意識しています。

二刀流、三刀流を目指してもいい

── まずは、とにかくやってみろ、と。

今20代の人に何か伝えられるとしたら、こだわりを持たないことの大切さを伝えたいです。

大リーグでは、大谷翔平選手が二刀流で注目を集めています。確かにプロ野球の世界で二刀流はすごいですが、高校野球なら、二刀流の人はたくさんいます。

これはビジネスパーソンも同様です。スペシャリストのレベルであれば営業とマーケターの両立は難しいですが、普通のビジネスパーソンのレベルであれば二刀流、ないし三刀流も目指していいはずです。

そのほうが、本当の自分の適性を見つけることができると思います。

例えば営業がデザインをやってはいけない理由なんてなくて、チャレンジしても全然いい。

Photo:iStock / gece33

あとは、得意・不得意と、好き・嫌いをちゃんと分けて考えることも大事です。この4つをマッピングして、自分を理解するのです。

その中で、「好きで、得意なこと」は天職だと思いますが、それは一つではないはずだし、思い込みも多い。

例えば、営業をずっとやってきた人は、営業が好きで得意だと思い込んでいるだけかもしれません。

営業一筋だっただけで、実は、マーケティングやファイナンスをやってみたら、そっちのほうが得意だと気付き、営業はそれほど好きではなかったと気付くなんてことはよくある話です。

ちなみに、自分の好き嫌い、得意不得意をマッピングしてみると、「嫌いだけど得意なこと」も出てくると思います。

私は、この領域をやらない人が多すぎることを問題視しています(笑)。嫌いだけど得意なことは、目的の手段としてなら、我慢してでもやったほうがいい。

目指すはアジア最大の動物病院

── 最後に今後の展望を教えてください。

アジアで大体100院の動物病院のグローバルチェーンを作りたいと考えています。

アルダのパーパスは、「人と動物が幸せに暮らせる社会をつくる」ですが、この幸せに暮らすという言葉には、ヘルスケアとライフスタイルの2つの側面があります。

ヘルスケアは健康寿命で、ライフスタイルは質です。この2つの側面はかなり領域が広いので両方にアプローチをすることは、かなりの難題です。

だからこそ、影響力を身に付けることはすごく大事だと思っています。

例えば、保護犬の問題を例に取ると、フランスでは2024年からペットショップで犬猫を販売することが禁止になることが決まりました。

こうした提案も、我々がアジアで影響力のある存在になれば、各国の当局に働きかけて、動物のためにポジティブな動きを起こせるかもしれません。

また、動物病院業界は紙のカルテを使っていたり、まだデータを束ねられていない業界のため、まずはデータを確保して、データドリブンの経営がしたい。

そのためには、データの集積など、できることを一歩一歩着実に進めながら、いつテクノロジーの大きな進化が来てもいいような体制を作っておきたいと思っています。

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取材・文:金子 明日香、取材・編集:佐藤留美、伊藤健吾、デザイン:浅野春美、撮影:奥田昌道(本人提供)