【元リク】Willがなくてもうまくいく「会社を使い倒す」技術
2022年1月24日(月)
正直な話をすれば、「戦略性はほとんどなかった」というのが本音です。
これといったやりたいこともなく、私にとっての就職は、「本当にやりたいことが見つかるまでの準備期間」のようなものでした。
こうしてインタビューをしていただいていますが、誇れるような就職活動をしていたわけではないのです。
自分と相性の良い会社だと感じ、入社を決めました。

私は大学時代、放送研究会に所属していました。大抵の学生はマスコミ業界を志望し、そのまま他業界を見ることなく就職します。例に漏れず、私もマスコミ業界を志望していた一人です。
ただ、業界ならではの慣習に疑問があり、一度就活をやめてしまいました。いくつかの出来事をきっかけに、「もしかしたら、自分に合う職場ではないかもしれない」と思うようになったのです。
例えば、就職活動の解禁時期は3年生の12月でしたが、マスコミ業界に行くには夏のインターンに必ず参加して、早くから志望する企業とのコネクションをつくらなければいけないという、まことしやかな噂がありました。
最初の頃は、情報が定かではないものの、噂を信じて活動していました。しかし、やはりなんだか変だと思いましたし、「そうした習わしがある業界で本当に自分は働きたいのか?」と疑問に思うようになりました。
結局、12月まで就活は一切しないことにして、ゼロから会社を探すことにしました。
会社を選ぶにあたって大切にしたのは、「自分がなりたい大人になれるのか」です。入社1年目、5年目、10年目の社員に会わせてもらい、「仕事を楽しんでいるのか」「年次に合わせて仕事がどう変わっているのか」など、人に焦点を当て、会社選びをしていました。

広告代理店や航空会社など、いくつかの会社を訪問した中で、最も「しっくりきた」会社でした。どの年代の社員と話しても仕事が楽しそうでしたし、なによりも本音の自分を受け入れてもらえたのです。
私がたまたまそうだったのだと思いますが、最終面接を目前に控えた面接で、いわゆる「圧迫面接」気味の対話がありました。おそらく、私の本性を見たかったのだと思います(笑)。
面接が終わり、エレベーターへ向かう道で、「真剣な話でニコニコするのはやめなさい」と言われたのですが、むしろ「私は私なので、何も変えません」と反論してしまったことを覚えています。
でも、最終的に内定をいただけました。
内定をいただいたタイミングで「いまこの瞬間に、リクルートライフスタイルに入社したいと心の底から思えますか」と聞かれ、「今この瞬間も絶対とは言えないです」と本音を返しても、オファー内容は変わりませんでした。
就活を始めるまで、リクルートライフスタイルという社名すら知りませんでしたが、そこには私のなりたい大人たちがたくさんいました。
面接や社員訪問の期間を通じて、自分を偽る必要はないんだなと感じましたし、言いたいことを言える環境だとも思え、そのまま入社を決意しました。
当時の私には「もっと会社のことを調べなよ」と言いたいですが、いま振り返っても、当時の選択は正しかったと思います。
最初に配属されたのは、新規事業開発の部署です。同期のほとんどは既存事業に配属され、セールスを担当していたのですが、私はできたばかりのサービス「Airシリーズ」の企画とセールスを担当することになりました。
というのも、研修で飛び込み営業をしたことで営業活動が嫌いになり、上司に「セールスだったら会社を辞めます」と、半分は冗談、半分は本気で伝えていたのです。
すごく生意気ですよね(笑)。でも、欲しいと言っていない人に、商品の押し売りをし続けることは、私にはできないことだと感じていました。
それをちゃんと伝えられたのは、「リクルートは本音で話せる会社だ」と知っていたから。
結果的にセールスは担当しているのですが、クライアントに商品を売るというよりは、商品を使ってもらうためのイベントを企画したり、販促計画を一緒に考えたりと、セールスという職種にとらわれることなく、どんな方法でもいいから事業ミッションを達成するということが仕事でした。
研修時の営業成績は悪くなかったので、上司には「君は営業に適性があるよ」とも言ってもらえたのですが、最終的には私の話を真摯に聞いたうえで配属先企画とセールス半々のような環境を与えてくれたので感謝しています。

全くなかったといえばうそになりますが、「今すぐ会社を辞めたい」と思ったことは一度もありませんでした。振り返ってみると、成長している実感があったからだと思います。
営業活動そのものにすごくやりがいを感じるわけではありませんでしたが、成長実感を得られる機会をたくさんつくってもらっていました。昨日できなかったことが、今日はできるようになっていく毎日が、仕事のやりがいになっていたんだと思います。
毎日の振り返りに付き合ってくれた当時のメンターには、今も頭が上がりません。
せっかくリクルートで働いているのだから、BtoC事業も経験したいと思ったのです。エンドユーザーに近いポジションで働くことに興味があったので、自ら挙手して異動させてもらいました。
異動先では、旅行誌『じゃらん』の編集を担当しました。未経験でしたが、取材に行ったり、記事を書いたり、できないなりに必死になって仕事をしていました。
また、前の部署でWebの知識が身に付いていたので、誌面のコンテンツをアプリに移動させる業務も担当しました。これまでの知識を生かしながら、新しい知識を身に付けて働いていたのがこの時期です。
事業を推進するにあたり、知財の知識が必要になったのです。
当時は紙からWebへの移行期で、アプリやWebサイトが充実しなければ、事業成長が難しくなっていました。
しかし、誌面のコンテンツは、雑誌に掲載する許可をもらっているものの、アプリやWeb媒体にすべてを掲載する許可は明確に得ていなかったり、SNSで収集した画像を誌面に使ったりする方法なども定まっていませんでした。
これまでに掲載してきた膨大なコンテンツを無駄にするわけにもいかず、どのようにして移行するかなどが議論になっていました。
事業部と法務の見解も異なっていましたし、個人としても少なからず不安がありました。
そこで、いっそのこと自分で勉強してみれば、事業部と法務それぞれの架け橋になれるのではないかと思い、一橋大学大学院の法学研究科に入学したのです。

自費で進学しました。
そもそも自分で希望して異動してきましたし、新しい知識が付いてマイナスになることはありません。
事業が進まないのもストレスでしたし、自分が学んで少しでもことが進むならと思い、迷いはありませんでした。
とはいえ、ハードな毎日です。平日は朝早く出社して、早めに退社し、大学院に行く。休日は図書館にこもって、論文を書く。
テスト期間は本当にしんどかったですが、「自分が事業を推進しているんだ」という責任感があり、なんとかやり切ることができました。
営業推進を担当しているタイミングでは、全国で発行される『じゃらん』全媒体の担当をしていたこともあり、知的財産に関する法律の知識も生かしながら働いていました。そう考えると、4年間でたくさんの経験をさせてもらいましたね。
ある程度の経験値がたまっていたので、このタイミングで転職してもいいかな、と思ったこともありました。ビジネスパーソンとして、それなりのお作法は身に付いたと思えたので。
ただ、どうせ辞めるなら、「リクルートでしかできないことをやり切ってから辞めよう」という気持ちもありました。現場の仕事を経験し、事業づくりも経験したので、「ほかにやれることはなんだろう」と考えたのです。

悩んだ結果、もう一つ視座をあげて経営視点を身に付けたいと思いました。
そこで、親会社であるリクルートホールディングスの投資室へと異動させてもらいました。ここで経験を積めば、「やり切った」と言えると思ったのです。
投資室での仕事は、配下会社の組織再編はもちろん、M&Aの検討やスタートアップ投資なども業務に含まれます。投資する会社のリスクチェックや、投資委員会運営などの仕事も担当していました。
それもありますし、投資室という特殊な環境での仕事に苦労しました。
ファイナンスの知識が不足していることもありましたし、海外と連携しなければいけないので、会議が朝の6時台から始まることも。体力的にキツいだけならまだいいのですが、仕事の内容が機密情報なので、誰にも話せません。
コロナの影響もあって「最近こんな仕事が大変でさ」という相談ですら、仲の良い同期にできませんでした。私にとっては、それが思った以上につらく、疲れてしまったことを覚えています。
ただ、自分で決めたことなので、最後まで責任を持ちたかった。私が担当する仕事の中でも重要度が高かった、株主総会の資料提出までは頑張ろうと腹をくくり、なんとか仕事をしていた記憶があります。
ただ、資料提出が終わったタイミングで、電池が切れてしまって休暇をもらうことになり、最後の最後までは対応できなかったのが今でも心残りです。
めいっぱいの背伸びをしていたので、疲れてしまったのだと思います。やりがいでいっぱいの仕事でしたが、最後はバーンアウト気味でした。
でも、初めてだらけの領域に飛び込んだことは自信になりました。一人前になったとは言いませんが、入社時に描いていた以上の学びを得られたのは間違いのない事実です。
また、休暇の期間は、新しいキャリアの道しるべになりました。入社してから、初めて心と体に余裕ができ、先々のことを考えることに集中できたのです。

このとき、入社して最初の部署で、上司にかけられた言葉を思い出しました。「好きか嫌いかは置いておいて、人にはできることとできないことがある。社会人として生きていくには、客観的に見て自分は何ができる人なのか知っておくことが重要だよ」という言葉です。
当時は「嫌なものは嫌だから仕方ないじゃん」くらいに思っていましたが、社会人を経験したからこそ、その意味が分かりました。
私は、営業はそれほど好きではないけれど、できないことも一つ一つやれば成果がついてきましたし、法律の専門家とは言えないけれど、事業を運営する上でどんな法的な論点を考慮しなければいけないのか、どういうポイントでジャッジが必要なのかの勘所を身に付けることはできました。
未経験だったファイナンスに関する知識も同じで、財務諸表を読んだり、IR情報に目を通したりすることで、経営観点で各社が何を大切にしているのか、自分が戦略を立てるなら何を取り入れるべきなのかが少しずつ見えるようになっていました。
私のキャリアは「これが明確に私の武器です」というスキルを身に付けてきたというよりは、いろんなことを経験した集合体だなと思っています。
だから、今の自分ならすぐに大きなことはできないかもしれないけど、とりあえず一人で事業を回してみることはできるかもしれないと思いました。
友人が働いている企業をいくつか紹介してもらったり、リクルーターの方に会って直接話をしたりしていました。
並行して、フリーライターとして記事を書いたり、スタートアップの事業開発の業務を請け負ったりしていたので、そのままフリーランスになるのも選択肢のひとつでした。
『じゃらん』で取材記事を書いていた経験がありましたし、旅行が好きだったので、好きなことを仕事にするのもアリだと思ったのです。
どちらにせよ、今の自分だからできることがしたい、ということは考えていましたね。これまでいろいろな職種を経験していたので、それらが重なる仕事に就くことを意識していました。
どんな働き方をしようか迷っているときに、知人から代表の石井(石井リナさん)を紹介されたのです。「友里に合いそうな会社があるから、一度会ってみない?」と。
私はひとまず話を聞きにいくつもりで足を運んだのですが、石井は挨拶もそこそこに、会社が掲げるミッションや、運営するフェムテックブランド「Nagi」の立ち上げ経緯、事業の課題を話してくれて……。

出会って数分後には、「友里ちゃんには、この中でなにができそう?」と言われました。正直、はっとしましたね(笑)。
ただ、語られていた困りごとの中には、自分が解決できそうなものが多々ありました。商品開発のプロジェクトマネジメントの経験はあるし、知財戦略もある程度なら立てられるし、営業も一応できる。
BLASTは、これまでの経験を生かせる環境かもしれないと思いました。そしてなにより、彼女の掲げるビジョンには、共感する点が多くありました。
BLASTは、ジェンダーギャップの是正を掲げ、女性のエンパワーメントを目指す会社です。
私は幼少期を海外で過ごした経験があり、海外と日本における「性差のいびつさ」を少なからず感じていました。
また、就職活動を始めた頃は、女性が総合職で働くのが珍しいとでもいうような風潮に困惑したことがありましたし、マスコミ業界を目指していた頃は、いま考えれば「これはセクハラだな」と思う経験もありました。
だからこそ、石井の話を聞いているうちに、少しずつ、自分がやるべき仕事が見えてきたのです。
気付いた頃には、「ひとまず一緒にやってみます」と返事をしていました。日本に根強く残るジェンダーギャップへの違和感が、BLASTへの入社を後押ししてくれたのです。
ミッションやビジョンに共感して働くという意味では、初めてやりたいことに巡り合えたと思います。
ほかにも声をかけていただいている会社はいくつかありましたが、最終的にはいまの自分が一番やってみたいことがBLASTにあると思い入社を決めました。
生産管理や物流のコントロール、バックオフィスやコーポレート周りの整備まで、事業推進のためにできることをなんでもやるのがミッションです。
これだけ多くの領域を担当できているのは、リクルートでの経験があったから。目の前のことに一生懸命になった過去が、いまになって生きていると感じています。
もちろんです。
あまり好きになれなかった飛び込み営業の経験がなければ、苦手なことでも成果を出す方法や、やりたいことを仕事にできる楽しさを知ることはなかったと思いますし、そこでがむしゃらになった経験は、COOとしての仕事の基礎になっていますから。
自分がやってみたいと思えなかったことでも、誰かに「やってみたら」とか、「向いているよ」とか、そういうアドバイスをもらったときは、素直にやってみるのがいいんだと思います。
私の経験からですが、とりあえずやってみることは、いまこの瞬間に何もしないで過ごすよりは、よっぽど価値があるように感じます。私はこれからも、誰かに「やってみたら」と言われたら、素直に挑戦してみるつもりです。

やはり、「とりあえずやってみる素直さを大切にしよう」ですかね。
自分から見る自分と、他者から見る自分の間には、想像している以上に乖離があるものです。
他者のアドバイスに耳を傾ける柔軟さがないと、自分の特技に気がつかないまま人生が終わってしまう、なんてこともあると思います。
人間は、他者との交わりを通じて、思わぬ力を発揮する生き物です。そのことを忘れず、働くことを楽しんでいただけたらと思っています。

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取材・文:オバラ ミツフミ、デザイン:國弘朋佳、撮影:遠藤素子