“副業解禁”というワードがニュースのタイトルに並びはじめてからはや数年、旧態依然のワークスタイルにも少しずつ多様性が生まれてきた。本業とは別に副収入を得る、もしくはスキルアップなどを目的とし、複数の企業と雇用関係を持つ“副業サラリーマン”が増加しつつある。
副業がトレンドから文化に移行しつつある現在、SNSで副業の“べき論”が散見されるようになった。「本業あっての副業」「本業で成果を出せない状態で副業をすべきではない」といった声がしばしば聞かれる。
しかし、むしろ副業を人生の中心に置くスタイルで、自分らしいキャリアを歩むビジネスパーソンがいることもお伝えしたい。
製薬系商社・立山化成の営業マンとして働く片口陸さんは、グッズの企画から制作までを一貫して行うデザインスタジオ・R11R(アールイレブンアール)を“副業で”経営している。
「サラリーマンを辞めるつもりもなければ、会社の売上を伸ばしてお金持ちになりたいわけでも、広い家にすみたいわけでもありません」と語る彼の働くモチベーションは、「限りなくリスクを減らして、人生を楽しみ尽くすこと」にあるのだという。
アイドルに没頭するあまりに仕事を辞め、ニートになった過去を持つも、それがきっかけとなり会社を起業。「事業を拡大するつもりはない」というものの、今では数千万の年商を叩き出す敏腕経営者だ。
聞けば聞くほどユニークなキャリアを持つ片口さんの、副業で人生を味わい尽くすパラレルキャリアを紐解いていく。
片口さんのファーストキャリアは、地元富山県に本籍を置く北陸銀行。「将来は経営者になりたい」との思いから、経営者と接点が多い銀行員になることを選んだ。
入行初年度は個人向けに金融商品を販売していたが、翌年は本籍のある富山に戻り、念願の法人融資を担当することに。しかし、描いていた「理想の仕事」と「現実の仕事」に生じた乖離から、働くことにネガティブなイメージを抱くようになってしまう。
「僕が勤務していた当時、担当した融資のうち意義がある案件は、全体の2割程度だったと思います。今と昔では状況が違うと思いますが、『必要ない』と言っているお客様に無理を言って借りてもらうことも少なくありませんでした。逆に、本当に困っているお客さまにはお金を貸せず、お客さまが目の前で泣き崩れてしまうという、まるでドラマのようなシーンを体験したこともあります」
仕事が板につき始める時期であろう社会人2年目、片口さんは悩んでいた。「自分は何のために働いているのか?」と、働く意義を見失ってしまったのだ。

銀行員時代について話す片口さん
そんな日々を支えていたのは、1人自宅で没頭していた趣味の「オタク活動」だった。
仕事で大変な時期が続いても、自宅に帰れば、好きなものに囲まれた充実した時間を過ごすことができる。帰宅後の動画鑑賞が、毎日の癒しだった。
そしてある日、片口さんは退職を決意する。その理由は、大好きな「オタク活動」に時間を割きたかったから。突然の退職は、周囲からは理解されないものだった。
「当時、大好きなアイドルグループがいたのです。しかし活動の大半は東京なので、なかなかライブに参加できず、フラストレーションが溜まっていきました。そんな矢先、もう仕事を辞めてしまおうと思ったのです。1日のうち、オタク活動をしている時間が最も充実しているのは明白で、そうであればその時間に全力を注ごうと決めました」
銀行を退職すると、その足で東京へ。家賃3万円以下のシェアハウスを契約し、アルバイトで稼いだお金の大半をアイドルのために使う生活がスタートした。
食事を我慢してでもライブに足を運び、特典である握手券欲しさに同じCDを250枚購入。「お金がないので、カード決済でしたけど」。
片口さんは当時を、「文字通り、極貧生活でした」と振り返る。しかし、「仕事にやりがいを見出せない鬱屈とした日々より、ずっと充実していました」とも語る。
そしてこの毎日が、彼の人生を大きく変えることになる。