学生からも人気の高い職業である、マーケター。
しかし、マーケティングという概念を理解し、マーケターの役割を自分の言葉で語れる人は少ない。
“瀕死の企業やブランドをV字回復させる魔法の一手”といったイメージから、人気だけが独り歩きしているのが実情ではないだろうか。
10,000人近くのマーケターが集まる学習コミュニティ「マーケティングトレース」を主宰する黒澤友貴(くろさわ ともき)さんは、マーケターを「顧客と市場と組織を動かす仕事」と定義する。
マーケティングを正しく理解し、マーケターとして活躍するには、どのようなトレーニングが必要なのだろうか。
黒澤さんのキャリアを形作った5冊の“座右の書”に焦点を当てながら、知られざるマーケティングの本質をひもといていく。

マーケティングの正体
—— どのような理由から、マーケターとしてのキャリアを歩んできたのでしょうか。
大前提として、私は自分のことを、いわゆる「マーケター」だとは思っていません。
肩書こそCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)ですが、これまで営業・マーケティング・人事・財務と領域を横断して仕事をしてきましたし、自分の強みはビジネスの仕組みを根底から考えることにあると思っています。
ただ、その思考そのものが「マーケティング」に支えられているのは間違いありません。
—— 黒澤さんがマーケティングに触れたきっかけについて、教えてください。
入社3年目に、事業の立ち上げに関わったことです。
ブランディングテクノロジーに入社して、はじめは営業を担当していました。
企業に営業の電話をかけ、アポが取れたら資料を作り、提案に行く。いわゆる営業職の仕事です。
入社3年目に、大阪でデジタルマーケティング事業をつくることになり、突然責任者に指名されました。
責任者といっても、事業部には私一人しかいなかったので、全ての仕事はテレアポから始まります。
ここで事業を成長させるために試行錯誤した経験が、マーケティングの世界に深く入り込むきっかけになりました。
売り上げ目標を達成するために日々奮闘していたのですが、中小企業を主な顧客としていたので、やはり限界があります。
より大きな予算がある大企業に提案をしなければ、事業を成長させることができなかったのです。
しかし、大企業はすでに、誰もが名前を知る広告代理店をクライアントに抱えています。
そこで、頭を捻りました。
広告代理店の多くは、「いかに広告を最適化するか」という、部分的な関わり方しかできていません。
そこで、経営戦略・マーケティング戦略から議論するパートナーになれば、既存の大手代理店をリプレイスできるのではないかと考えました。
今でこそ、代理店が戦略の上流から考えることの必要性は当たり前に言われていることですが、当時はそうした事業者が少なく、まだまだチャンスがあったのです。
クライアントと戦略議論をするために、海外企業の優れたビジネスモデルやマーケティングに関する書籍を読み漁り、徹底的に事業づくりの方法論を学びました。
そこで出会った文献は、今でも私のキャリアを支える根幹になっています。
コンセプトから議論せよ
—— 黒澤さんにマーケティングの力を与えた「座右の書」を教えてください。
何度も立ち返るのは、『SHIFT:イノベーションの作法』という書籍です。
著者は、USBフラッシュメモリやイオンドライヤーのコンセプト開発などを手がけた、ビジネスデザイナーの濱口秀司さん。
本書で語られている内容で強く印象に残っているのが「コンセプト設計・戦略策定・意思決定・実行の時間配分」に関する話です。
コンセプトや戦略があれば組織がぶれることなく動けますが、そもそも戦略が間違っていたら元も子もない。
しかし、多くの企業がその罠にはまっていることを指摘していました。
この話を聞いたときに「なるほど」と思ったのです。
私たちがリプレイスしようとしていた広告代理店の多くは、とにかく広告運用に注力しています。
しかし、大上段にあるべきであるはずのコンセプトが議論されていないので、そもそも戦略が間違っているかもしれません。
つまり、ただただ疲弊しながら、代理店として手を動かしてしまっている可能性があるということです。
その気づきを得てから、健全な戦略を構築することに汗を流した結果、次第に大手広告代理店をリプレイスすることに成功しました。
このタイミングが、コンセプトから議論し、正しい戦略を構築する——つまり、マーケティングの重要性を理解した瞬間です。

—— マーケティングの能力は、広告を運用するといった個々の業務に習熟するだけでは磨かれないと。
「広告運用担当者」や「SNS運用担当者」のプロフェッショナルとして生きていくのであれば話は別ですが、マーケターとして活躍したいのであれば、コンセプトや戦略から議論する思考力が求められると思います。
そもそもマーケティングは上段から考えなければ成果が出にくいものなので、コンセプトの設計や戦略の議論を放棄してしまうようであれば、特にCMOといったマーケティング責任者としては価値がありません。
コンセプトや戦略が決まれば、あとは実行するだけです。実行するリソースは、外部のパートナー企業までを考えれば、無数にあります。
ですから、本来マーケターが価値を発揮すべきは、戦略を構築することだったり、それにひも付く戦術を考えたりすることにあるのです。
戦略なくして成長なし
—— 戦略のつくり方を知るうえで、参考になった書籍はありますか。
経営学者の野中郁次郎さんによる『失敗の本質』も大変参考になりました。
本書では太平洋戦争で日本軍がアメリカ軍に敗れた理由が解説されているのですが、その中で印象に残ったフレーズが「戦略の欠陥は戦術で補うことはできない」です。
戦略なき実行は現場を疲弊させますし、結果的に組織を負けに導きます。まさに、濱口さんがおっしゃっていることと同じです。
組織にとって優れた戦略がどれだけ重要かを、歴史を通じて学ぶことができました。
また、「優れた戦略とはなにか」の問いに答えをくれたのが、一橋大学教授の楠木建さんによる『ストーリーとしての競争戦略』です。
「ストーリー(優れた戦略)が大切だ」とよく言われますが、その理由を明確に答えられる人は少ない。
楠木先生は、戦略ストーリーのゴールは“持続的利益”を生み出すことだとおっしゃっていて、書籍の中で「持続的利益を生み出すストーリーの4要素」を詳しく解説されています。

マーケティングには数々のフレームワークが存在しますが、フレームワークはあくまで思考するための道具にすぎません。
重要なのは人や市場を動かす「ストーリー」がつくれるかどうかです。
そうした意味で、持続的な利益を生み出すためのストーリーを描けるかは、マーケターにとって重要なスキルになります。
成果を生み出せたクライアントとのプロジェクトを振り返ると、そこには優れた戦略ストーリーが存在しており、楠木先生がおっしゃることは確かだと思っています。
—— これからマーケターを目指す若い世代が手に取るべき、入門書ともいえる書籍はありますか。
ちきりんさんの『マーケット感覚を身につけよう』を推薦します。
同書では「航空会社・ANAの競合には、JALやLCCだけでなくビデオ会議ツールも含まれる」といったことが語られており、日常の中で“マーケット感覚”を持つことの重要性と、その方法論が解説されています。
ちきりんさんの書籍からは、常識に疑問を投げかけたり、自分の頭で考えて結論を出したり、「普段から戦略脳を鍛えるトレーニングをしているかで、マーケターとしての基礎能力が決まる」ことを学びました。
突然「優れた戦略を考えてください」といわれても、優れた戦略の考え方やイメージが頭の中になければ、手の打ちようがありません。
しかし、日常の中で成功企業の事例をストックし、自分なりの見解を持っていれば、少なくともアイデアは導き出せる。
ちなみに私は『NewsPicks』ユーザーなのですが、思考力を鍛えるトレーニングとして、「毎日5記事」を目標にコメント付きでピックをしてきました。
日々のニュースとの関わり方を変えるだけでも、マーケティング思考は磨けると思っています。
優れた模倣で“戦略脳”を鍛えよ

—— 黒澤さんが考える、マーケターとして卓抜するための姿勢について、教えてください。
お客さんに会いに行ったり、組織のメンバーとコミュニケーションを取ったり、とにかく一次情報に触れることだと思います。
要するに、「分かったつもりにならない」ことが重要です。
事業を伸ばそうとすると、必ず「営業人員を増やして顧客接点を増やそう」「広告を打って認知を高めよう」といった案が出てきます。
もちろん一時的に売り上げは上がるかもしれませんが、持続的ではありません。
誰にでも思いつくことであり、マーケターとしての責務を全うしていない考え方です。
マーケターないしマーケティング責任者の役割は、持続的な利益創出を実現することです。
それを可能にするコンセプトや戦略をつくるには、市場と顧客の理解が必須で、戦略を遂行するためには、組織を動かす能力も求められます。
つまるところマーケターが成果を出すためには、一次情報に当たり、自分なりの仮説をつくって、顧客と市場と組織の3つをバランスよく動かす姿勢が大切だと考えています。
—— とはいえ、簡単なことではありません。
たしかに、「言うは易し行うは難し」です。
だからこそ、まずは優れた戦略の引き出しを増やす——つまり、“良いマネをする力”を磨くことから始めるのがお勧めです。
そうした意味で、『模倣の経営学』も、お薦めの書籍としてご紹介させていただきます。
表紙に「偉大なる会社はマネから生まれる」とありますが、私もまさに、徹底的にマネをすることで、マーケティングの仕事に生かしてきました。
私が開発したトレーニング「マーケティングトレース」でも、表面的ではなく、本質を模倣し、戦略を考える力を磨くことを大事にしています。
「マーケティングを学ぶ」というと、フレームワークの勉強を想像されがちですが、そこに本質はありません。
フレームワークは「考えやすいから利用している」程度であり、重要なのは、成功要因やその施策が成功した背景にある因果関係を正しく理解することです。
マーケティングは、専門用語がたくさん出てきますが、そこに踊らされないことが大切です。
例えば「インサイトを掴むことが大切だ」なんて言われますが、形式的にフレームワークを当てはめても、しょせん答えは得られません。
大切なのは、自分が当事者になって考えてみることです。
日常生活ですぐ実践できるのは、自分が消費者として購入したアイテムを手に取って、「なぜこの商品を購入したのか」を掘り下げて考えたり、メディアで取り上げられているニュースを読み、取り上げられている理由を自分の言葉で言語化したりすること。
そうした日常の振る舞いが、マーケターとしての思考を磨くことに直結するのです。
取材・平瀬今仁、取材・構成:オバラミツフミ、編集:倉益璃子、撮影:遠藤素子