働き方の多様化やオンライン化が進み、「働く場所」の縛りがなくなる中で、地方へ移住する人の話をよく聞くようになった。
しかし、新しい土地で仕事を始めるのは、そう容易なことではない。出身地や好きな地域に移り住むとしても、仕事となれば別の話。慣れ親しんだ環境を離れることに不安を抱く人も多いだろう。
FISHERMAN JAPAN(フィッシャーマン・ジャパン)の安達日向子(あだち ひなこ)さんは、東京から宮城県の石巻へ移住して8年。水産業の未来をつくることをミッションに、地方でのプロジェクト推進にかかわり続けている。
副業やリモートワークなど、移住以外の選択肢も増える中で、地方とかかわって働く「関係人口」も増加しつつある。地方で仕事をする上で大切なポイントとは何なのか、実践者の安達さんに話を聞いた。
—— 安達さんは、美大生時代の震災ボランティアがきっかけで石巻とのつながりができたそうですが、なぜ移住を?
私の母が石巻出身で、東日本大震災のときは親族の安否確認に1カ月以上かかりました。
全員の無事が分かってからも何かしたい一心で、コミュニティデザインを学ぶゼミに入り、あちこちの被災地を回ったんですね。
当時は、瓦礫を撤去しながら「美大生に何ができるのだろう」と考え続けていて。 それでふと、津波に流されず1本だけ残ったけれど、もうすぐ枯れそうな木の絵を描いたんです。なくなってしまう思い出の物を、何らかの形で残したいと。
そうしたら、地元の方々がその絵をものすごく気に入ってくださって。美大にいたために、絵なんて誰にでも描けると思い込んでいましたが、そうではなかった。
そのときに、自分のデザインが介在することで、誰かの役に立つという実感を得たんです。
—— ダイレクトに人から喜ばれる経験が、原体験なのですね。
卒業後はフリーランスとして、いったんは東京で広告の仕事をしました。しかし、届ける相手が見えない感覚があって。
復興プロジェクトにはかかわり続けていたので、宮城での人のつながりはどんどん増えていました。
届ける相手が見える範囲でデザインの仕事をすることに魅力を感じるようになり、移住を決めます。
また、大学のゼミの先生に言われた「コミュニティにかかわったなら、かかわったなりの責任がある」という言葉が、今でも頭に残っています。
「ボランティアとして瓦礫を片付けて、絵を渡して終わり」ではなく、そういった「責任」のようなものを、かかわった人たちに対して少しでも果たしたいと思ったことも、移住を決めた理由です。
—— 移住後の仕事として、水産業の発展を選んだ理由は?
実は移住してからしばらくの間、シェアハウスの事業をしていたんですね。そこで出会ったフィッシャーマン・ジャパンの方に、一緒に漁に連れていっていただく機会がありまして。
そのとき、漁師さんを心の底から「かっこいい」と思ったんです。
私なんて立っていられないくらいのスピードと波の衝撃の中で、漁師さんたちは堂々と仁王立ちして、次々と魚を水揚げしていました。
朝日で、魚の鱗がキラキラと光っていて。こんなに美しい光景があるのかと、一気に心をつかまれました。
興味を持って調べていくうちに、環境問題や後継者問題、収入の問題など、水産業は根深い課題を抱えていることが分かってきました。
これらを本気で変えることにコミットしようと決意し、フィッシャーマン・ジャパンにアートディレクターとしてジョインします。
自分のミッションを決めるには、実際に自分の目で見て体験することが、一番だと思っています。