【山下良輔】工業高校から、有名コンサルに転職した31歳の逆転人生
2021年3月2日(火)
山下 特に戦略があったわけではありません。
育った環境の影響か、もともと自己肯定感が低く、人生にそれほどやる気があるタイプではありませんでした。高校卒業後に就職したのは「家庭の事情で大学に行く選択肢がなかったから」で、仕事に対しても「生きるために必要なお金があればいい」くらいの感覚でした。
ファーストキャリアに検討していたのは、地元の工場です。偏差値30台の高校に在学していたので、それほど選択肢もありませんでした。
しかし、工場見学に行った際、作業服を着て現場で働く50代の方々を見て「自分には体力的に厳しそうだ」と感じました。そこで唯一、現場での作業がなさそうだった松田電機工業所に就職を決めたのです。
言ってしまえば、 “成り行きのファーストキャリア”です。
山下 周囲から期待され、必要とされるのが嬉しかったからです。社会人になり、「仕事で成果を出せば、周囲が自分を認めてくれる」ことを知りました。市場価値を上げることが、自己肯定感に関するコンプレックスの解消につながると気づいたのです。
松田電機工業所は、若手に多くのチャンスを与えてくれる会社でした。その上、従業員300人程度でありながら、年間売上高は150億円で資本にも余裕があり、社長が新しい取り組みにも積極的です。
若手ながら新しいプロジェクトに参加させてもらう機会が多くあり、頑張れば頑張るほど評価され、どんどん仕事にのめり込んでいきました。
山下 海外で工場を立ち上げるプロジェクトが、私にとっての転機となりました。入社5年目の22歳のときに、プロジェクトリーダーを任されたのです。
プロジェクトを立ち上げた当初は、営業部長と生産工場の工場長、生産技術部の上司、そして私というチーム編成でした。
しかし、諸事情で私以外のメンバーが抜けてしまい、最終的には私と同じく若手の2人でプロジェクトを担当することになりました。1年間の準備期間を経て、英語も喋れないまま、1年半にわたるタイでの駐在生活が始まりました。
工場を立ち上げる過程に、マニュアルは一切ありません。事業計画書の作成、現地スタッフの業務フローの確立、物流管理など、今まで経験したことがないことを「どんな方法で行うか」から考えなくてはいけませんでした。
このとき、ゼロベースで考える癖が身についたことは大きな財産です。どんな仕事であれ「そもそもこのやり方は正しいのか」という視点を持てるようになり、仕事を進める上での基礎力が身についたと思います。
山下 知らない場所に飛び込むことよりも、そのまま日本に残り、成長実感が得られなくなる方が怖かったのです。
工場の立ち上げに参画する前は、ラインの立ち上げをはじめとする、新製品の生産準備の6割を1人で担当していて、それなりの成果も出していました。
ただ、そのまま同じ場所にいても、それ以上の成長は見込めませんでした。背伸びできる環境ではなかったのです。
そこで、上司に「異動させるか、親会社に出向させてください」と自ら頼みました。その結果回ってきたチャンスが、工場立ち上げのプロジェクトです。むしろ「やっとチャンスが来た!」くらいの感覚でしたね。
満を持して臨んだビッグプロジェクトでしたから、相当な苦労はしたものの、それ以上に充足感でいっぱいでした。仕事の楽しさに味を占め、“普通の仕事”に満足できなくなったのはこの頃かもしれません。
山下 たしかに、タイでの駐在を終えた頃には、会社の上層部からキャリアアップを約束されていました。しかし、タイでの仕事があまりにも充実していたので、「以前と同じような仕事には戻れない」と思ったのです。
そのタイミングで「今度は技術分野を極めよう」と考え、当時急成長期にあったSUBARUに転職しました。
山下 生産技術部でのエンジニアとして採用され、途中で工場企画先行開発の担当に携わることになりました。そこでは、今後生まれる新しい技術を踏まえて「10年後にSUBARUから出す車」について考えていました。
企画担当が出してきた設計図やデータをみながら、「この車は、10年後にはこの技術で生産できるのではないか」と妄想する仕事です。
ただ、それほど忙しくない部署だったこともあり、余った時間を使って勝手に仕事を増やしていました。
山下 例えば、製品改良のために他社の車を買ってきて分解するプロジェクトの立ち上げです。
分解するための部屋をつくるところから始め、車を数台買ってきて、分解した部品の写真を撮り、重量を測って、自社製品と比較する。以前から数年に1度行っていた作業でしたが、数千万円の予算をもらって新たなプロジェクトとして動かしました。
また、同業他社の優秀なビジネスパーソンとのつながりをつくるために、「自動車技術会」に入っていました。そこで仲良くなった、他社で働く部長クラスの方々に「今度うちの会社に遊びに来てくださいよ」と声をかけるんです。
本当は先に会社の許可を得なくてはいけないのですが、先方が部長クラスの方だと上司もOKを出すしかないので、勝手に誘っていましたね。
そんなことを続けているうちに、近隣にある自動車メーカーの生産技術のヘッドと親しくなり、年に数回工場を行き来し合う関係になりました。最終的に、30歳前後の社員に向けた新しい研修制度として、SUBARUとホンダ、お互いの社員が工場見学をし合うプログラムをつくっています。
山下 分かりやすいタイトルを狙わず、「誰もやらないこと」に率先して取り組むようにしていました。なぜなら、誰にでもできることをやっても、特別な評価はもらえないからです。
例えば、「社内のコンテストで1位をとった人」は、必ず社内に1人います。ですから、市場単位で考えれば、それほど稀有な存在ではありません。
それよりも「年間3,000万円の予算をもらい、他社研究を効率的に行う手法を確立した」「技術担当なのに研修制度をつくった」という人がいたら、きっとそちらの方が面接官の目を引くはずです。
実際、SUBARUからPwCに転職した際も、このキャリア形成に対する考え方が役に立ったと思っています。
SUBARUで働くうちに「プロジェクト単位で仕事ができて、かつプロジェクトの上流に携われる仕事がしたい」と考えた私は、コンサル業界に目を向けました。
しかし、自動車業界からコンサル業界への転職事例は多くありませんし、転職エージェントからも「学歴的にみてもコンサル業界への転職は無理です」と言われていました。
実のところ、30社近く応募したうち、ほとんどが書類落ちでした。でも、高卒で異業界にいた私でも、PwCから内定をもらうことができました。
もちろん、当時のPwCが製造業に知見のある人材を積極的に採用していたという運の良さはありましたが、それだけでは内定はもらえなかったはずです。
山下 そうだと思います。実を言うと、デロイトの採用面接には、これまで何度かチャレンジしていたものの、あえなく“見送り”されていました。
3度目の転職でやっと内定をもらえたのは、採用側の目に、私の経歴が以前とは異なるものとして映ったからだと思います。
私が働いていた頃のPwCは毎年6月が昇進のタイミングでしたが、パートナーの承認を得ると1月に昇進できる制度がありました。私の場合、入社半年後の1月には、アソシエイトからシニアアソシエイトへと繰り上げ昇進しています。
デロイトに転職した際はこの経歴も評価されたのだと思いますが、元をたどれば、そこにはやはりキャリア全体を通して「誰もやらないこと」にこだわってきた姿勢があるのです。
山下 おっしゃる通り、「成果」を出すことは挑戦の必須条件です。私は昔から、自分がやりたいことをやる代わりに「上位3割以上の評価を取れなかったら、好きなことはやらない」と決めています。若手のうちは、そもそも成果を出さなければ挑戦の機会が与えられないので。
若いうちから成果を出す秘訣は、“思考訓練”の回数を増やすことです。経験値を増やして成果を出す能力を身につけることは大事ですが、時間は有限なので、着想を全て実行に移すのは無理ですよね。ましてや、最初は1つの仕事をするのにも時間がかかります。
だから、頭の中で妄想するのです。「プランAを実行した場合」と「プランBを実行した場合」と行動パターンを複数思い浮かべ、“仮想の経験値”を増やす。すると、限られた時間の中でも、効率的に成果を出す能力が身につきます。
そして、この思考訓練の精度を上げるために必要なのが、過去の事例を徹底的に調べること。入社1年目の新人が入社5年目の社員に勝つためには、過去の事例を遡って5年分の知識を身につけるのが一番早い。
過去の事例を知っていれば、防げる失敗も増えますし、経験したことがないことを知っていると、周囲からも「この人はよく勉強しているな」と一目置かれます。
山下 私のように、働き始めるまでキャリアと真剣に向き合ってこなかった人間でも、後から巻き返すことは十分可能です。
ですから、就職活動がうまくいかなかった方や、現在の仕事が入社前のイメージと異なっているという方も、それほど悲観する必要はありません。
仕事は人生で最も長く時間を費やすものですが、逆に言えば時間の猶予がたくさんあります。同じ人間で基本的な能力値にそこまで差があるとは思いませんから、それよりも行動するかしないかの方が大きな差になります。
同様に、今まで順風満帆な人生を送ってきたからといって優越感を抱いていると、いつの間にか周囲から取り残されることもあります。社会人の方であれば、今いる場所が自身の成長のために最適かどうか、常に自問自答し続けた方がよいでしょう。
これまでの劣等感や優越感は捨て去り、常に次に何をすべきかを考えた方がよい結果につながるはずです。
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取材:佐藤留美・倉益璃子、文:倉益璃子、編集:オバラミツフミ、撮影:遠藤素子
編集部注(2022年11月14日):記事中で「デロイト トーマツ コンサルティング」を外資系と表記していましたが、正確には外資系ではないため、記載を変更いたしました。掲載後の修正をお詫びいたします。