【三井住友銀行】世界と戦ったサッカー少年が、銀行員になった理由

2021年8月9日(月)

プロを目指した学生時代

── 学生時代にはサッカーに打ち込み、年代別日本代表や全国準優勝と華々しい経歴です。

高瀬 小学2年生でサッカーを始めて、大学4年生まで続けました。

小学6年生の時に、U−12ナショナルトレセンに初めて選ばれ、U-13/14ではJFAエリートプログラム(将来の日本代表選手を育成する場)のメンバーにも選出していただき、その後U-15日本代表でもプレーさせてもらいました。

このまま行けばプロになれると思い、高校3年間はジュビロ磐田U-18(ジュビロ磐田の育成組織)に所属し、寮生活をしながらプロを目指しました。

── 高校生で親元を離れての寮生活。両親の反対はありませんでしたか?

親は猛反対していました。おまえにプロは無理だぞ、と。同時期に進学校のサッカー部からもオファーをいただいていたので、大学への進学なども考えるとそこでサッカーを続けてほしかったんですね。

ただ、自分の中ではジュビロでチャレンジしてみたい気持ちが強かった。中学校3年生という若さで、人生の選択で弱気な決断をすることは、今後の人生において絶対マイナスになると。担保のないほうに勝負に出ないと、プロになれないと思いました。

Photo:iStock /Pekic

── 高校卒業後は、立教大学経営学部に進学して体育会サッカー部に所属。大学卒業後は、三井住友銀行に入行しました。プロサッカー選手の夢を断念し、就職を決意した背景にはどんな経緯があったのですか?

ジュビロ磐田U-18では、高校2年生の時に全国準優勝を経験しましたが、個人としてはトップチームに上がることができませんでした。

その後、進学した立教大学では体育会サッカー部に所属したものの、「プロを目指すのは高校まで」という親との約束があったので、卒業後には一般企業に就職すると入学当初から決めていました。

── 就職活動では、当初から銀行を志望していたのですか?

いいえ。当初は、テレビ局が第1志望でした。

小さい頃から、サッカー選手を目指しながら、実はテレビ局で働きたいと思っていました。小学校の卒業文集には「将来テレビ局に入る」と書いたんです。

理由はシンプルで、「テレビが好き」だったからです。私は1人っ子で、両親も共働きだったので、テレビが自分の友達だったし、人生に必要なことは全てテレビから教わりました(笑)。

ですから、就職活動でもテレビ局が第1志望でしたし、実際に内定もいただきました。

── 憧れのテレビ局の内定を得たにもかかわらず、入社しなかったのはなぜですか?

内定をいただいた瞬間に、「働く」ということをリアルに考えられるようになったんです。そして、自分が好きなことと、自分にできることは違うという感覚を持ちました。テレビ局の選考は特殊で、面接の段階でかなりクリエイティビティを求められます。

例えば面接で、「自社の弱みに、あだ名をつけてください」と聞かれたり。

一応順調に選考は通過していくものの、自分がここで活躍できそうな手応えが、全くなくて。

その時に、こんなに恐れながら仕事をすることは、自分らしくないと思ったんです。この仕事を5年、10年、15年続けるのは無理だな、と。テレビの仕事にリスペクトがあるからこその決断でした。

「好き」より「頑張れること」を仕事に

── 「自分らしい仕事」には、その後どうたどり着いたのでしょうか?

自分らしいこと、自分ができることはなんだろうと思ったのですが、人生を振り返ると、核家族で育ち、中学を卒業して寮生活で同年代と過ごし、大学では1人暮らしでアルバイトもしていない。

つまり、大人とかかわる機会が人生で一度もなかったことに気付きました。こんな人間が社会で活躍するはずがないと、絶望しましたね。

それでも、私にできることは社会にないのかと必死に考えた時に、サッカーを頑張ってこられた、続けてこられた理由を深く探そうと思いました。

それまでのサッカー生活を振り返ると、苦しいし、逃げ出したいし、今日は練習に行きたくないなって毎日思っていました。なのに続けていた自分は、頭がおかしいのかなって(笑)。

しかし、もう少し深く考えると、私のベクトルの先には常に、試合に使ってくれる監督や、大事な場面でパスを出してくれるチームメイト、バイトで稼いだ交通費を使って会場に来て、声をからすまで応援してくれている部員たち、自分のやりたいことを応援してくれる両親がいました。

つまり、サッカーを続けられた理由を要素分解したら、人の信頼や期待に応えることが、自分のモチベーションやバイタリティとなって、サッカーを頑張ってこられたことに気付いたのです。

── 「好きなこと」から「できること」に、就職活動の軸が変化したと。

私の場合、サッカーだけを頑張ったと思っていた21年が、実は人の信頼に応えることを必死に毎日頑張った21年だったと気付いたのです。

そうであれば、これからの社会人人生も、人の信頼に応えることを必死でやれる仕事を選ぼうという考えに変わりました。

── 「人の信頼に応える仕事」という軸で、銀行を選んだのはなぜでしょうか?

数ある仕事の中で、「人の信頼に応える」要素が最も色濃いと感じたのが、銀行員の仕事だったからです。

銀行の重要な仕事の一つに、ファイナンス(お金を貸すこと)があります。企業から決算書をいただき、判断の材料とするのですが、決算書とは経営の通知表なので、お客様の抱える悩みや課題が丸裸になります。

なぜ銀行が決算書をもらえるかというと、お客様には夢や目標があって、悩みや課題をさらけ出してでも、銀行に融資という形で手を差し伸べてほしいからです。

人って自分の悩みや課題なんて格好悪くて言えないし、夢や目標を言うのも恥ずかしいと思いますよね。ですから普通は、家族や親友といった、本当に信頼している人にしか言えません。

それを言ってもらえる銀行の仕事は、信頼関係の上に成り立っていると感じました。であれば、その仕事がどんなに難しくてつらくても、私は目の前の人のためにやりたいと思えるだろうと。人生をベットする価値のある仕事だと思いました。

もう一度、世界と戦いたい

── 就活中、ジュビロ磐田U-18時代に戦った同級生や、一緒に日の丸を背負ったメンバーは、ロンドンオリンピックで活躍中だったそうですね。かつての同僚の躍進に焦りは感じましたか?

高校卒業までのサッカー生活は、競争環境でプレッシャーも大きく、睡眠薬を飲まないと寝れない日もあるほどつらい毎日でした。進学するタイミングで、ここから逃げたい気持ちもあって、サッカーの強豪校ではない大学を選んだんです。

実際に大学生活は、38度ぐらいのぬるま湯温泉につかっている感覚で、とても気持ちよかったです。誰もガツガツしていないし、勉強も遊びもできる。この環境、最高だな、めっちゃいいなと思っていました。

そんな中、私が大学4年生の時、ロンドンオリンピックが開催されました。

テレビの向こうでは、高校3年生まで一緒にサッカーをしていた仲間が、何万人という大観衆の前で、日の丸を背負って世界で戦っているんです。勉強なんて一切やってこなかった彼らが、言葉も通じない異国の地で、自分の足1本で世界を認めさせている。

Photo:iStock /dynasoar

当時、私はもうプロを諦めていたので、彼らとのサッカー選手としての差なんて、どうでもいいなと思っていました。しかし彼らが必死で頑張っている姿を見たときに、サッカー以前に、人としての差が圧倒的についてることに気付きました。

この3年間でなぜこんなに差がついてしまったのか。大学進学の時に、厳しい環境から逃げた過去の自分と、それに気持ちよくなっちゃっている当時の自分が格好悪く思えて、すごく腹が立ったんですよね。

なので、就活では「失われた4年を取り返す」を軸に、会社選びをしていました。私はサッカーではプロになれませんでしたが、ビジネスパーソンとしてもう一度、世界で戦うような経験をして、彼らに胸を張ってもう一度会いたいなと。

4年の遅れを取り戻すには、とんでもないスピードで成長しなければいけません。その環境が最も整っているのが、今の会社だと思いました。

誰よりも早く成長して、もう一度世界と戦いたい、と。

── 三井住友銀行といえば、確かに、攻めのメガバンクで行員はやる気満々という印象があります。

それは当たっています(笑)。

私は、5年後の自分がイメージできない会社に入りたいと思っていました。逆にいうと、5年後の自分が簡単に想像できてしまう会社では成長できないと思ったんです。

そこで、いろいろな会社を訪問したところ「絶対にかなわないな」と思うような行員が一番多かったのが、三井住友銀行でした。

三井住友銀行の人は、一言でいうと暑苦しい(笑)。夢とか目標とか、自分のやりたいことを力強く語るんですよね。

最初は、それがクールじゃないなと思っていたのですが、社会に出て年数が経って、自分の実力がある程度見えているはずなのに、こんなにも大きい夢や目標を掲げられるのはすごいなと思い、入行を決めました。

自分の限界を決めて、逃げた己を変えられるのは、ここしかないと思いましたね。

「信頼に応える」でつかんだチャンス

── 入行後、「信頼」や「成長」を実感したエピソードはありますか?

成長を実感したのは、3年目に東証一部上場の企業を担当した時です。そのお客様は、20程の金融機関からお金を借りていて、他行は40歳前後のベテラン社員が担当していたのですが、SMBCは3年目の私が担当になりました。

ところが、担当初日にその会社の財務部長に「3年目の君になにができるんだ。もう来なくていいから」とはっきり言われたんです。

成長できる環境があるからこの会社に入って、成長できるチャンスが目の前にあると思ったのに、出鼻を挫かれました。私は正直メンタルが繊細なので、かなりつらかったです。

でも、このチャンスをつかまなかったら、この会社に入った意味がないなと思いました。

そして、自分にはなにができるかを考えました。目の前の財務部長は来なくていいよと言ったけど、数千人も社員がいる会社なので、どこかに悩みを抱えていて、自分を必要としてくれる人がいるのではないか。そう思って、いろんな社員に会いに行って、自分にできることはないか探しました。気付いたら、3年間で300人と名刺を交換していました(笑)。

その中に、新規事業を担当する社員が2人だけいたんです。そういう人が社内にいることさえ、他行は気付いていませんでした。

その新規事業の構想は、当社にとって数百億円をかけるビッグプロジェクトでした。

我々銀行は、数多くのお客様と取引し、さまざまなビジネスにファイナンスをしています。その企業が検討していた新規事業についても、他社でファイナンスをした実績もあったので、どのようなところを事業化に向けて押さえておく必要があるのか、ボトルネックになることはなにか?などのノウハウを提供できると考えました。

このチャンスに賭けてみようと思い、お客様と一緒に半年かけて事業計画を作成し、取締役会にかけました。

しかし、一度はNoを突きつけられました。「このビジネスはリスクが大きすぎる。何百億も投資して失敗したらどうするんだ」と、経営陣にいわれたのです。

Photo:iStock /baona

私もその2人も、悔しくて諦めきれませんでした。そこで、SMBCグループのコンサル会社と契約をしてもらって、事業計画のフィジビリティスタディ(実行可能性調査)を実施し、レポートを作成しました。

そして、3カ月後の取締役会で、事業計画をもう一度提案したんです。

そのレポートを読んだ経営陣が、外部の専門家がこれだけ太鼓判を押してくれる事業なら、とGOサインを出してくれました。

これだけでも嬉しかったのですが、この話には続きがあります。

後日、そのニュースがプレスリリースに出ると、それを見た他行が「ウチならもっと良い条件で貸せますよ」とお客様にアプローチをかけてきました。

ところが、私に半年前「来なくていい」といった財務部長が、他行に対して「出る幕はないよ。これは全部SMBCで決めてるから」といってくれたのです。

私には、これがなによりも嬉しかったです。「人の信頼に応える」ためにこの会社に入って、それが実現できたと思いました。

好奇心があれば、大成する 

── 学生時代に打ち込んだことと、仕事との接続に悩む就活生や若手ビジネスパーソンは数多くいます。「自分になにができるか」を見つけるために、必要なアクションはありますか?

自分と本気で向き合ってください。

私は、同じ年の就活生の中で、一番自分と向き合った自信があります。自分はどんな人間だったか、どんなことに嬉しいと思って、どんなことに悔しいと思っていたか──。常に自分は何者かについて考えました。でも自分だけでは分からないので、親や友人、時には元カノにも電話して聞きました(笑)。

こうしていろいろなファクトを自分の中で集めていくと、共通項が見えてきます。これを抽象化していくことで、「自分は何者なのか」が見つかるんです。

私の場合、「人に矢印が向いているよね」とか、「自分のためにはなにも頑張らないのね」といわれました。それで自分という人間は、人とのかかわり合いの中で生まれるものに喜びを感じるタイプだと分かったんです。

こうして「自分が何者なのか」が分かると、「自分がどうありたいか」が見えてくると思います。

テクニカルになにをやってきたとか、スキルとか知識で語るのではなくて、自分がどんなことに喜びを感じたり、悲しみを感じたり、怒りを感じたりするのかといった、日々の感情の変化をとらえて、自分がどうなりたいかを見極める。

そうすると、良い意味で言い訳もできるんですよ。一つの山を登るのに、この道は違うとなっても、別の登り方をしたらいいんです。それがあったから、私も銀行員という仕事にチャレンジできました。

── フィンテックや、資金調達の多様化など、大きな変革期を迎える銀行。その中で、どんな人が、銀行員に向いていると思いますか?

いろんなことに興味を持ち、探究することが面白いと思える、そんな好奇心がある人だと思います。

というのも、銀行員は同時にいろんな業界を担当することが多いからです。自動車部品メーカーを担当しながら、飲食業やインフラ企業を同時に担当したり。これは、一つの外的要因に対して、メリットを受けるお客様も、デメリットを受けるお客様も、同時に担当しているということです。

それに対して、同じ提案をしてはもちろんダメで、業界やビジネス戦略に応じて真逆の提案を持っていくこともありますよね。私は、こうして世の中を俯瞰して見ている銀行員にしか、描けない絵があると思うんです。

A業界とB業界はくっついたら面白いな、C社の悩みはD社の技術で解決できるな。こうした感覚が、銀行員だから持てる。だからこそ、お客様のビジネスに興味を持って面白いと思える好奇心が、銀行員には必要だと思います。

実はこれ、最終面接官にいわれたことなんです。最終面接の最後に「なにか質問はあるか」と聞かれて、「円安・円高がなにかも分からないですが、こんな僕でも銀行員として大成すると思いますか」と聞いたんです。

今となっては最悪な質問なんですが、その面接官の答えはこうでした。

「君は、ドトールとスタバの違いが言えますか? ただの1杯のコーヒーでしょ、と思うなら、君は絶対に活躍しない。でも、その違いはなんだろうって思える好奇心があるのであれば、君は絶対に活躍する」

あ、銀行員はそれでいいんだって私は思ったんです。サッカーしかしたことがない、経済も金融も分からない。なら、なにかに興味を持って面白いと思える好奇心さえあればいいんだってことに気付いて。

これは、銀行員として最も大切な素養だと、9年目の今でも思っています。

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取材・文:鈴木朋宏、取材・編集:佐藤留美、デザイン:松嶋こよみ 、撮影:遠藤素子