【逆転】30社お見送り、早期離職の私が、映画プロデューサーになるまで

【逆転】30社お見送り、早期離職の私が、映画プロデューサーになるまで


この記事に登場するロールモデル

代わり映えしない毎日に退屈して、通勤中に「全く違う仕事をしている自分」の姿を空想する——。


単調な日々の繰り返しに退屈し、漫然と過ぎていく毎日を抜け出そうと、キャリアチェンジを考えた経験のある人は少なくないだろう。


しかし、現実的ではないという理由から、変化をあきらめてしまう人がほとんどだ。


ただ、大胆なキャリアチェンジは、あなたの人生をポジティブな方向へと導く可能性を秘めている。


ブシロードの笠松愛(かさまつ あい)さんは、「自分に合っていなかった」保険営業の仕事を1年で退職し、営業事務と社会人サークル発起人の“二足のわらじ”スタイルにワークスタイルを変更。


150人の仲間を集めて映画を製作し、エンタメ業界で活躍するプロデューサーへと転身した。


「アクティブに頑張れず、誇れるような特技を持たなかった」笠松さんは、いかにして自分の居場所を見つけたのか。


やりたいことを見つけ、生き生きと働くためのヒントを探る。

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目次

環境だけで、自分は変わらない

—— 映像編集の経験ゼロで、未経験者が映画・動画制作を楽しめるコミュニティ「ゼロからはじめる映画研究会(以下、ゼロ研)」を立ち上げたと聞きました。どのような経緯があったのですか?


アクティブに頑張れない自分が変わる転機となったのが、ゼロ研の立ち上げでした。


私はもともと、人と話すことが苦手なタイプです。


学生時代に目立つような実績を残すこともなく、何か誇れるような特技もなかったので、就職活動では苦労しました。


実際、30社ほどの会社から“お見送り”をされています。


新卒で入社した大手生命保険会社は、とにかく数を受けた結果、たまたま内定をいただいた会社です。


配属されたのは、営業職。


特にやりたい仕事だったわけではありませんが、職業のイメージから、「コミュニケーション下手な自分から変われるのではないか」という期待がありました。


しかし、環境が変わったくらいで、そう簡単に自分自身が変わることはありませんでした。


相変わらず人と話すことは苦手で、成果も伸び悩み、体力的にもしんどい日々が続きました。

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Photo : iStock / Olga Seredenko

—— そんな自分を変えようと、映像の世界に飛び込んだ?


いえ、実はまだ経緯があります。


まず、変化のきっかけになったのは、私が担当していたお客様の言葉です。


「人と話すことが苦手で、自分を変えたいです」と正直に伝えたところ、「もっと場数を踏んだほうがいいよ」とアドバイスをいただき、同僚や知人の飲み会に誘ってくれるようになりました。


彼女を通じて出会った人の中には、私の知らない職業の方がたくさんいました。


派遣社員の方、個人事業主の方、起業家の方……。「正社員の営業職」としてしか働いたことのない私にとって、どの方の話も新鮮でした。


「自分の知っている世界はこんなに狭いのか」と気付かされ、だんだん人と話すことが楽しくなってきました。


—— 「人と話すことが苦手な自分」から変化できたのですね。


ただ、コミュニケーションの楽しさを知ったからこそ、仕事での会話に心苦しさを感じるようにもなりました。


お客様の助けになりたいと思っても、やはり自社商品以外には提供できるソリューションがありません。


無理に自社商品を勧める気にはなれず、売り上げを上げる先輩社員や同期と自分を比較すると、私に保険営業の適性があるとは思えませんでした。



——  そのタイミングで、転職を決意した?


現在の仕事に適性がないと知ったこと、そして、自分の知らない世界を知ったことで、「本当にやりたいことを探してもいいのではないか」と考え始めたんです。


よく言われる「3年は頑張ったほうがいい」という言葉が頭をよぎりましたが、自分に合わないことを無理に続ける必要はないと考え直し、就職してから1年で退職を決意しました。


機会は挑戦する者に訪れる

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