【逆転】30社お見送り、早期離職の私が、映画プロデューサーになるまで

2021年8月6日(金)

環境だけで、自分は変わらない

—— 映像編集の経験ゼロで、未経験者が映画・動画制作を楽しめるコミュニティ「ゼロからはじめる映画研究会(以下、ゼロ研)」を立ち上げたと聞きました。どのような経緯があったのですか?

アクティブに頑張れない自分が変わる転機となったのが、ゼロ研の立ち上げでした。

私はもともと、人と話すことが苦手なタイプです。

学生時代に目立つような実績を残すこともなく、何か誇れるような特技もなかったので、就職活動では苦労しました。

実際、30社ほどの会社から“お見送り”をされています。

新卒で入社した大手生命保険会社は、とにかく数を受けた結果、たまたま内定をいただいた会社です。

配属されたのは、営業職。

特にやりたい仕事だったわけではありませんが、職業のイメージから、「コミュニケーション下手な自分から変われるのではないか」という期待がありました。

しかし、環境が変わったくらいで、そう簡単に自分自身が変わることはありませんでした。

相変わらず人と話すことは苦手で、成果も伸び悩み、体力的にもしんどい日々が続きました。

Photo : iStock / Olga Seredenko

—— そんな自分を変えようと、映像の世界に飛び込んだ?

いえ、実はまだ経緯があります。

まず、変化のきっかけになったのは、私が担当していたお客様の言葉です。

「人と話すことが苦手で、自分を変えたいです」と正直に伝えたところ、「もっと場数を踏んだほうがいいよ」とアドバイスをいただき、同僚や知人の飲み会に誘ってくれるようになりました。

彼女を通じて出会った人の中には、私の知らない職業の方がたくさんいました。

派遣社員の方、個人事業主の方、起業家の方……。「正社員の営業職」としてしか働いたことのない私にとって、どの方の話も新鮮でした。

「自分の知っている世界はこんなに狭いのか」と気付かされ、だんだん人と話すことが楽しくなってきました。

—— 「人と話すことが苦手な自分」から変化できたのですね。

ただ、コミュニケーションの楽しさを知ったからこそ、仕事での会話に心苦しさを感じるようにもなりました。

お客様の助けになりたいと思っても、やはり自社商品以外には提供できるソリューションがありません。

無理に自社商品を勧める気にはなれず、売り上げを上げる先輩社員や同期と自分を比較すると、私に保険営業の適性があるとは思えませんでした。

——  そのタイミングで、転職を決意した?

現在の仕事に適性がないと知ったこと、そして、自分の知らない世界を知ったことで、「本当にやりたいことを探してもいいのではないか」と考え始めたんです。

よく言われる「3年は頑張ったほうがいい」という言葉が頭をよぎりましたが、自分に合わないことを無理に続ける必要はないと考え直し、就職してから1年で退職を決意しました。

機会は挑戦する者に訪れる

—— ゼロ研の立ち上げに至る経緯を、より詳しく教えてください。

まずは、働き方を変えようと、営業事務の仕事に転職しました。派遣社員として、金属メーカーの会社に3年間勤務しています。

その後、友人の勧めで個人事業主に転向。システム開発のプロジェクトに入り、PMO事務(プロジェクトを円滑に進めるための管理やサポート)を担当しました。

1年前は、まさか自分が個人事業主になるとは思ってもいませんでしたが、このタイミングで人生が大きく変わったと思います。

週末も働いていた正社員時代より、自分の時間が取れるようになって、その時間を活用してたくさんの交流会に参加し、ネットワークが広がりました。

苦労もありましたが、仕事も順調で、スキル次第で自分の労働単価を上げられることが大きなやりがいでした。

ただ、その仕事の中に「本当にやりたいこと」は見つかりませんでした。

そうした悩みを抱えている最中に、ある日突然、親しくしていた友人から連絡を受けました。「3カ月間、ずっと職場に行けていない」と。

彼女は仕事ができ、趣味にも時間を使うアクティブなタイプです。

突然の連絡に驚き、「とにかく今すぐ1回会って話そう」と、台風の日に1軒だけ開いていた居酒屋に連れ出しました。

お互いに落ち込んでいる時期だったので、最初はネガティブな会話ばかりで。

友人は「30歳まで生きたくない」とすら話していました。心身のバランスを崩していたんです。

ところが、お酒が進むと、次第にアニメや漫画、舞台など、自分のやりたいことや好きなことを語りはじめました。

さっきまで「生きたくない」と言っていた友人の表情が、まるで別人であるかのように、生き生きし始めたのです。

そのことに、強く心を打たれました。

「やりたいことがない」と悩んでいた私とは真逆で、友人にはやりたいことがたくさんあったんです。

彼女の姿を見ていて、「私の悩みはなんて贅沢なのだろう」と思うと同時に、「好きなことで生き生きとしている人を増やす場をつくりたい」という気持ちが芽生えました。

Photo : iStock / Zbynek Pospisil

—— それが、ゼロ研ですか?

そうです。

ただ、「場をつくりたい」という思いはあっても、明確なプランはありませんでした。

そこで、片っ端から人に会ってみることにしました。

自分の思いをいろんな人に伝えてみて、会話の中から、自分が「いいな」と思うことを探そうと考えたのです。

すると、映画のCGを作る夢を抱いて上京したのにもかかわらず、生活のために違う仕事をしている男性に出会いました。

友人と同じように「やりたいことがあるのに、できていない人」を目の前にして、居ても立っても居られなくなって……。

気が付けば、「一緒に映画をつくろう!」と、その場で声をかけていました。

私自身は映像制作に知見がないどころか、ジブリ、名探偵コナン、ハリーポッターくらいしか映画を観たことがない人間なのに、です。

—— 全くの未経験から、どのようにして研究会を立ち上げたのですか?

宣言したはいいものの、何から始めたらいいのかいっさい分からず、映像関係の知り合いもいない状態で、友人たちに「映画をつくりたいんだけど、どうしたらいいかな?」とひたすら聞いて回りました。

ただ、「まずはネットで調べなよ」と言われることがほとんどです。

結果的に「映画 つくり方」と、検索エンジンに入力することからプロジェクトがスタートしています。

全くの無知でお恥ずかしいですが、調べていくと、映画づくりには監督や脚本家、役者や照明など、たくさんの関係者がいることを知りました。

とにかく必死だったんです。

変な奴だと思われていたでしょうが、「まずは彼ら彼女らに話を聞かなければ!」と、ご本人に直接アポを取ったり、キャスティング会社や役者が集まるワークショップに飛び込んだりして、自分の思いを伝え続けました。

そうした活動を続けていると、何かの拍子に「そういえば、映画をつくりたかった人がいたな」と思い出してもらえる機会が増えていきました。

そうした出会いの一つで、友人から、「とある大手企業の会社が、社内外で新規事業や新しいアイデアを募集しているらしい」という情報を提供してもらいまして。

私は思い切って、チャレンジすることにしました。

デザイナーの友人が徹夜で資料づくりを手伝ってくれて、本番のプレゼンでは、なぜ私が映画をつくりたいのかを語りました。

すると、プレゼンを聞いた人たちから「人生で一度は映画をつくりたいと思っていた」「僕はカメラの技術に詳しいよ」などと肯定的な反応をいただき、そこからさらに多くの人がつながっていきました。

「映画をつくりたい」と決意してから、3カ月。

60人の仲間が集まり、ついにゼロ研が立ち上がったのです。

自分のため、そして世の中のため

Photo / iStock : baona

—— ゼロ研の具体的な活動内容について、教えてください。

立ち上げ当初は、映画をつくるためのハッカソンやワークショップを開催していて、メンバーが150人を超えたタイミングで、自ら監督となり映画を製作しました。

上映会には、ゼロ研を立ち上げるきっかけとなった、台風の日に語り合った友人を招待しました。

私はずっと、友人に映画を観てもらう日を夢見ていたんです。

大変なことばかりでしたが、多くの人に支えられ、やっと夢をかなえることができました。

—— 現在は、ブシロードの社員として働いています。ゼロ研の活動を経て、どのような変化があったのですか?

上映会が一つの区切りとなり、またコロナの影響もあって、現在ゼロ研は活動を休止しています。

活動休止を決めたとき、お世話になっている音楽プロデューサーの方に、1年半の活動報告をしました。

そのときに、笑いながらですが、「エンタメ業界、なめんなよ」と言われたんです。

彼はその後に、「あなたのパッションはとても素敵だけれど、自分のためにやりたいことをやっているだけでは、自分のためだけのポエムを書いているようなものだよ」、そして「もし世の中のために何かをしていきたいと思うのなら、ビジネスもマーケティングも、もっと勉強したほうがいい」と付け加えました。

耳が痛い言葉でしたが、職場関係なく面と向かってアドバイスしてくださる存在はとてもありがたく、関係を大事にしていきたいと思いました。

もっと勉強して、スキルや人脈も身につけて、今度はビジネスとしての場づくりに挑戦したい——。これが、ブシロードに転職したきっかけです。

現在はプロデューサーとして、アプリゲームを担当しています。

ゲームのイベントを企画したり、ラジオやCM放映、SNS配信などのプロモーション戦略を考えたり、クリエイティブの進行管理や版権確認などもしています。

—— 笠松さんはこれまで、営業や営業事務として働いていました。未経験の転職で、どのようにアピールしたのですか?

自分に嘘はつきたくなかったので、ゼロ研での成功も失敗も、業界経験がないことも、クリエイターやアーティストを支える仕事をしたいことも、2〜3年後には起業したい思いも、洗いざらい話しました。

ブシロードは、現会長が異業界からカードゲームを立ち上げて始まった会社です。

創業者自身が業界未経験で起業したことから、業界の経験や知識だけで判断せずに、熱意がある人には何でも挑戦させてくれる風土があります。

会社説明の動画や面接にもその風土が表れていたので、等身大の自分のままでいられました。

私には、何も分からない状態からゼロ研を立ち上げた経験があるので、ゼロから勉強することには全く抵抗がありません。

積極的に学ぶ姿勢に加えて、業界は未経験でしたが、ゼロ研を立ち上げる中でたくさんのクリエイターとのつながりをつくりました。

個人事業主の時代から、ネットワークを生かして人と人をつなげる仲介業もやっており、そこは実績として評価されたと思います。

答えを見つける4つのポイント

—— 笠松さんは「やりたいこと」を少しずつ見つけていって、今は生き生きと働いています。「やりたいことがない」と悩む若い世代に向け、アドバイスをお願いします。

私の場合ですが、4つのポイントを意識していました。

まずは、「人に会って相談する」こと。

1人で悶々と考えていても、答えは出ません。

しかし、自分の考えや迷いを素直に話してみると、思わぬヒントに出会えたり、次につながる人や情報を紹介してもらえたりします。

次に、「やりたいことに挑戦する」です。

シンプルですが、人との会話の中で「面白そう」と思ったことは、とにかくまずやってみるんです。

その道が合っているかどうかは、やってみないと分かりません。でも、やる後悔よりも、やらない後悔のほうが大きいものです。

たとえ失敗に終わったとしても、その経験が無駄になることなんて、絶対にないと思っています。

そして、「経験を自分の言葉で伝える」です。

何かをやってみると、自分の中にストーリーが生まれます。そして、そのストーリーを人に伝えていくと、そこに賛同する仲間が増えていきます。

最後に、「自分を棚卸しする」です。

人に相談しすぎると、あらゆる方向性から意見が飛び交うので、判断に迷うこともあります。

そんなときは、いったん立ち止まって、過去の経験やこれから大切にしたいことを、一度棚卸ししてみることをお勧めします。

人と何度も話していると、自分の言葉が変わっていくことがあります。伝える言葉が、どんどん磨かれていくんです。

また、繰り返し話している言葉は、「自分が本当に大事にしたいことなのだ」と分かります。

このサイクルを回していけば、やりたいことや好きなことの輪郭が少しずつはっきりしていくはずです。

最後に、私が大好きなマザー・テレサの言葉を紹介させてください。

「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから」

私もまだ道の途中です。でも、一歩ずつ前に進んでいます。

何か困ったことがあれば、ぜひ相談してください。

私もそうやって、人に助けられてきた1人なのですから。

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取材・文:岡田菜子、取材:伊藤健吾、編集:オバラ ミツフミ、デザイン:岩城ユリエ 、撮影:遠藤素子