ルイ・ヴィトン ジャパンのPRディレクター時代に「旅するルイ・ヴィトン展」を手がけるなど、現役のPRパーソンとして活躍している齋藤さんは、広報・PRを「世の中の一歩先を見つめる仕事」だと語る。
複数のラグジュアリーブランドのPRパーソンとして、数々の印象的な仕事を手がけたエキスパートである齋藤さんが、広報・PRを志す若い世代に伝えたいこととは——。
豊富な経験に裏打ちされた、秘伝のエッセンスを、余すところなくお届けする。

PRはストーリーテラーであれ
—— 齋藤さんはルイ・ヴィトン ジャパンのPRディレクターとして「旅するルイ・ヴィトン展」を手がけるなど、これまで広報・PRとして数々の実績を残されています。齋藤さんが考える「広報・PRの仕事」について、お聞かせください。
齋藤 私が考える広報・PRの役割は、「会社のDNAを理解し、ストーリーテラーとして伝えていくこと」です。
どのような会社であれ、創業の背景となった志や、成し遂げたい未来があると思います。
広報・PRとは、その想いを社内の誰よりも理解し、咀嚼して魅力的に伝えていく職業なのです。
「広報・PR」の役割を果たすには、メディアプランニングをしたり、プレスリリースを書いたりといった、個々の業務に習熟するだけでは不十分です。
企業の理念や存在意義を理解したうえで、より広い概念の一戦略として活動することが求められます。

—— ファーストキャリアから、広報・PRの仕事を志されていたのでしょうか。
広報・PRの肩書を持ったのは、4社目のグッチが初めてです。それまでは主に、マーケティングの仕事に従事していました。
学生時代にも、「広報・PRとして活躍したい」という具体的なプランがあったわけではありません。
現在のキャリアに至る最初のきっかけは、高校から4年間海外で生活していたことがあり、その際に「外から日本を見る」経験をしたことです。
日本を離れたことがきっかけで、「日本茶ってこんなにおいしいんだ」「日本の雑誌のクオリティってこんなに高いんだ」といったように、既知のコンテンツの魅力を再発見する経験をしました。
視点を変えることで、まだ知られていない魅力を引き出すことが、楽しくて、楽しくて。
ファーストキャリアを選択する際は、コンテンツの魅力を多角的な視点で再発見するフレームを、自分自身にもあてはめました。
「ある程度英語を話すことができて、子どもの頃からアートやファッションが大好きだった自分」の価値を最大限に活かせる環境を探した結果、ルイ・ヴィトンに就職することにしました。

PRはDNAの体現者であれ
—— 齋藤さんの広報・PRとしてのキャリアは、どのようにして形作られたのでしょうか。
ルイ・ヴィトンから、サンローランの日本進出にも関わった柴田良三が率いるアパレル商社、アルファ・キュービックに転職したことが一つの転機になりました。
アルファ・キュービックは、1970年代~80年代における日本のファッションシーンを牽引してきた、マーケティングの天才ともいうべき会社でした。
同社では、海外のまだ小さなブランドの魅力を掘り下げ、日本で市場をつくる仕事を通じ、マーケティングの基礎を学んでいます。
その後、キャリアの幅を広げるために、ジャーディン・マセソンという輸入商社に転職しました。
アルファ・キュービックで学んだマーケティングスキルに、自身の英語力を掛け合わせようと考えたのです。
ジャーディン・マセソンはハンティングワールドやMCMといったブランドアイテムを扱っていたので、「輸入商社で働く」というより、「ブランドの近くで働く」と表現するのがしっくりくる職場でした。
ファッションが大好きな私にとって、この上なく楽しい環境でしたね。
マーケティングから広報・PRへと軸足を移す契機になったのは、ヘッドハンティングでジャーディン・マセソンからグッチへと転職したタイミングです。
当時のグッチは、いわゆる“GGマーク”をあしらった、レザーグッズのブランドでした。

そこからファッションアイテムに力を入れていこうと、デザイナーのトム・フォードが主導する形で、クラシックなイメージから、モダンでセクシーなルックへとリブランディングを実施しており、私はPRマネージャーとしてプロジェクトに参加しました。
グッチとは何かを再定義するマーケティング活動の一環として、新しいグッチの姿とその魅力を伝えていくPR活動の中で、私は「グッチの魅力を誰よりも好奇心を持って学び、最も魅力的に語れる人間である」ことを常に意識し続けていました。
PRマネージャーとして、激動の時代の“ど真ん中”を過ごしたことで、広報・PRという仕事の輪郭をつかむことができたと思っています。
PRの上流にはマーケティングがあり、PRはマーケティング戦略によって定義されたブランドの魅力を体現する役割なのだと、経験をもって学ぶことができたのです。

—— グッチを退職後、以前在籍されていたルイ・ヴィトンへと再び入社されています。ルイ・ヴィトンでは、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。
ファーストキャリアとして入社した当時は“なんでも屋”でしたが、今度はPRディレクターとして戻ってきました。
当初はファッションを中心に担当する予定でしたが、グッチでリブランディングプロジェクトに携わったこともあり、私が興味を持っていたのは、ブランド単体ではなくコーポレートも含めた全体のPRでした。
ルイ・ヴィトンを一度離れ、外から見る経験をしたことで、ルイ・ヴィトンの魅力と強さはコーポレートの部分が揺らがないところと、伝統を支え続けてきた職人たちの本物のクリエイティビティーにあると確信できたからです。
—— 齋藤さんが手がけた「旅するルイ・ヴィトン展」も、ルイ・ヴィトンの伝統に触れる機会だったと思います。
おっしゃる通りで、「旅するルイ・ヴィトン展」は、創業時から受け継がれるルイ・ヴィトンのDNAを、アーカイブという形でみなさまに知っていただく目的で開催しました。
パリで開催されていた展示を日本に持ち込む形で開催したのですが、「本社から日本ならではのローカライズ・コンテンツをつくってはどうか」と提案され、チームで「日本の部屋」を特別に用意させていただくことにしました。
高知県まで足を運び、板垣退助が渡欧した際に購入した「レイエ・キャンバスのスティーマー・トランク」をプロの手で修理することで蘇らせたり、白洲次郎が所有していたモノグラムキャンバスの「ビステン」と「スティーマー・バッグ」を展示するなど、日出ずる国・日本とルイ・ヴィトンの関係性を紹介しました。
いまだ知られていないブランドの歴史と魅力をより夢のある形で体験していただくことができ、今振り返ってみても、大成功の企画だったと思います。
また、若い世代にも、ルイ・ヴィトンの歴史やアーカイブに興味を持っていただけたと思います。
「旅するルイ・ヴィトン展」は、私が学生時代に描いていた「視点を変えることで、まだ知られていない魅力を引き出す仕事」そのものでした。
フランス人キュレーターのクリエイティブな視点も素晴らしかったと思います。

PRは仕事にこだわる職人であれ
—— 「まだ知られていない魅力を引き出す」ために、広報・PRには、どのような素養が求められるのでしょうか。
一見しただけでは話題性がないように感じられるトピックを拾い上げるクリエイティビティーと、それを魅力的に伝えるコミュニケーション力が求められると思います。
湧き出る好奇心で世界を見つめ、そこから拾い上げた魅力をストーリーテラーとして伝えられる力がなければ、広報・PRは務まりません。
例えばルイ・ヴィトンの新作をPRする際に、「この媒体に露出して、こんなイベントを開催しましょう。
中身はプロフェッショナルにアウトソースします」といった具合に、画一的に業務をこなす仕事が成立しないわけではありません。
しかし、そうした仕事の仕方では、ブランドの魅力や新作への想いを十分に伝えることは困難だと思います。
ブリーフィング(報道機関などに対して行う事情説明)一つとっても、ブランドを理解し尽くし、それを体現できているか否かで、結果は大きく異なります。
広報・PRは、こだわりを尽くす職人であり、魅力を最大化するプロデューサーでなければいけないのです。

そして何より、通り一遍の仕事をしてもつまらないじゃないですか。イベントを開催するにしても、「ブランドの魅力を最大化する開催場所はどこだろう?」とか「展示の仕方一つで印象が大きく変わるかもしれない」と、ありとあらゆることに目を配り、創意工夫をした方が、仕事は楽しくなるはずです。
—— 齋藤さんは「広報・PRに求められる素養」をどのようにして身につけられたのでしょうか。
意識していたわけではありませんが、インスピレーションを磨いてきた経験が今に活きています。
ドラマチックな四季の移り変わりや、目を見張るほど美しい満月を見ては、その時の感情を言語化するようにしてきましたし、絵本に描かれていた心躍る世界に真剣に憧れ、大人になってから実践することもしてきました。
マーケティングやPRの書籍から体系的なスキルを学ぶことも重要ですが、それ以上に、自分の世界を広げながらクリエイティビティーを磨いてきた経験が、私の現在を形作っていると感じています。
体系的なスキルよりも、大人になるまでに磨いてきたクリエイティビティーが、仕事に大きなインパクトをもたらしているからです。
また、社会人になってからは、常に“面白い自分”であれる努力をしてきました。ブランドの魅力を体現する広報・PRに魅力がなくては、ブランドの価値を毀損してしまうと考えているからです。
“面白い自分”であるために必要なのは、様々な経験をするだけでなく、あらゆるジャンルの人と関わりを持つこと。
経験は引き出しの数を増やしてくれますし、人との関わりは人間そのものの魅力を高めてくれます。
また、築き上げたネットワークは、PR活動をする上でも役に立ちます。これをキャリアが熟してから構築するのは簡単ではないので、早い段階から意識すべきだと思います。
PRは新時代の開拓者であれ
—— 広報・PRのキャリアを歩みたいと考えている若い世代は、どのような経験を積めばいいのでしょうか。
「これさえ勉強すれば大丈夫」といった万能薬は存在しないのですが、やはり本質を見抜く多角的な視点を磨くことは、キャリアを支える礎になると思います。
会社というアセットに眠る、本質的な価値を拾い上げられないことには、広報・PRとして機能しません。
いろんな場所を自分の目で見ることや、物語を読むことも重要ですが、私が特におすすめしているのが、コンテンポラリーアートを鑑賞することです。

自分の感性で捉えた情報と、作品に込められたメッセージとを比較することで、多角的な視点と想像力が養われます。
自分の目で見て、何を感じるのか、あるいは感じられないのか。世界が発信するメッセージを、自分なりに感じ取ることが大切です。
そのうえで、自分の言葉で伝える経験を積んでほしいと思います。
—— 以前にも増して、広報・PRの重要性の高まりを耳にするようになりました。今後、広報・PRパーソンを目指す若い世代に向け、伝えたいことがありますか。
広報・PRは“世の中の一歩先を見つめる仕事”だということをお伝えしたいです。
SDGs(持続可能な開発目標)が分かりやすい例ですが、企業やブランドには、時代の変化に合わせた革新が求められます。
“Public Relations”というくらいですから、広報・PRは、社会の要請に応じて変化を主導する仕事です。

変化を主導していくためには、世の中の動きを知っていなければいけません。
そのうえで、世代の異なる大人たちと侃々諤々と議論し、そこで得た信念や知見をPR活動に還元していかなければ、いかに優れたサービスやブランドを展開している企業でも、時代に取り残されてしまいます。
海外では、若い世代が、政治や社会問題など世の中のトレンドを盛んに議論する姿を目にします。一方、日本のみなさんはどうでしょうか。
「時事ニュースには興味がない」「政治には関心がない」と聞きます。
ぜひ、湧き出る好奇心で世界を見つめ、自分の意見を持ってほしいと思います。
(取材・文:オバラ ミツフミ、編集:栗原 昇、デザイン:小鈴キリカ、撮影:遠藤素子)