【解説】1万人面接した現役人事が語る、強い組織をつくる3つの視点
2021年1月19日(火)
宮本 私は人事を「組織の矛盾を解決し、組織を最適化する仕事」だと考えています。
企業には「経営と現場」の2つの構造があります。目指すべきゴールは一緒かもしれませんが、この2つの間には、得てして矛盾が生まれてしまいます。
たとえば「経営サイドは人件費を安く抑えたいけど、現場サイドは給与を上げてほしい」、「業務を遂行しやすくするルールをつくりたいけど、ルールによって社員が辞めてしまう」といった具合です。
この矛盾を解決し、組織全体のパフォーマンスを高め、お客様に価値を提供するのが、人事の役割です。

ゆめゆめ想像していませんでした。
そもそも会社員になろうとは思っておらず、真面目に就職活動をした経験もなければ、会社員になってもチームプレーが大の苦手でした。
若い頃は今よりも尖った性格をしており、「社会に出ること=会社員になる」という構図に違和感を持っていたんです。
「会社員は電車の中で死んだ目をしている」という、よくない誤解をしていました。
また学生時代は国内・海外で世界の仲間や住民と一緒に、地域のために動く「国際ワークキャンプ」に精を出していたこともあり、「私はみんなと違う」と思っている節もありました。
最終的にエントリーシートが不要だった企業2社の面接を受けはしたのですが、そういった態度が透けて見えたのか、あっけなく落ちてしまいました。
「そりゃそうだ」と切り替えて、就職せずに、ネパールで日本語教師をしながらボランティア活動をすることにしました。
国際ワークキャンプに参加していた理由でもありますが、小学生の頃にテレビで湾岸戦争を目にしてからずっと、「世界中の困っている人たちを助けたい」という想いを持っていたので。

意気揚々とネパールに渡ったものの、思ったように活動が進まず、半年後に帰国することに。
再びネパールに行こうとは思っていたので、何か役に立つことはないかと帰国後すぐに農業に従事したのですが、それもピンとこなくて。
そんな矢先、気乗りしないまま就職した同級生に会う機会がありました。
会社員生活に辟易しているかと思ったのですが、意外にも楽しそうで。その姿を見て、「働いたこともないのに、会社員はつまらないと決めつけるのは恥ずかしい」と反省しました。
会社員に対するイメージは変わりましたが、まだモヤモヤした気持ちが残っていたので、ヒッチハイクで国内を回っていろいろ考える時間をとっていました。
そんなとき、人生を変える転機が訪れました。
私を拾って乗せてくれた運転手さんと身の上話になったのですが、私がフリーターなことで悪い印象を持たれるのは嫌だなと思い、つい「春からリクルートに就職する大学4年生です」と、うそをつきました。
リクルートは私が前年の就職活動でエントリーした企業だったので、とっさに会社名が思い浮かんだのです。
すると、運転手の方は、偶然にもリクルート出身の方だったのです。
道中はずっと、リクルートのエピソードになり、「リクルートは本当にいい会社だから頑張って」と言われました。
そして、車を降りると同時に、リクルートの面接を受けると決めました。
無事に内定をもらうことができ、リクルートジョブズで、3年間限定の契約社員として働くことになったのです。
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求人広告の営業です。社会人としてのスタートが同期よりも1年遅れた分、「早く追いつかないといけない」という焦りがありました。
また、正社員と契約社員とでは、任される仕事の内容が大きく異なります。「正社員に負けたくない」という気持ちもあり、とにかくがむしゃらに働きました。
その甲斐あって、あらゆる社内キャンペーンでトップを獲得。今振り返ると生意気ですが、「もうできるようになったので、退職します」と1年終えたときに上司に宣言しました。
しかし上司には、「まだやるべきことは山ほどある」と怒られてしまいました。とはいえ、いくら頑張ったとしても、契約社員ではできる仕事に限りがあります。
上司に反論すると、「なんで正社員を目指さないんだ?」と言われ、またそこから猛烈に仕事をし、入社1年半後に晴れて正社員に転換しました。
ただ、私には欠点がありました。ピンの営業マンとしては活躍できたのですが、チームプレーが得意ではなかったのです。
正社員になってすぐ営業チームのリーダーを任されるようになったのですが、いつも自分のやりかたを押し付けていました。
部下が失敗した際も責め立てるばかりで、本当にひどい上司だったと思います。
自分の成功体験を言語化できていなかったことも、リーダーとして力不足だった理由の一つだと思います。
上司からは「宮本のスタイルをそのまま部下に教えてやればいいんだよ」と言われましたが、私はなぜ自分が成果を出せたかが分からないまま、リーダーになってしまいました。
でも当時はそれにも気づけず、結局30歳でリクルートを退職するまで、チームプレーへの苦手意識は拭えませんでした。
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現在勤めているTOKYO BIG HOUSEに転職し、代表の菊田寛康が私のために組織のあり方をアレンジしてくれたことが転機になりました。
私が入社した当時、わが社では「〇〇部長」「〇〇係長」といったように、社員同士を役職で呼び合っていました。
その社風に自分がなじめずに私は「“さん付け”にしましょう」と提案したのです。
でも、その提案は、当時は受け入れられませんでした。
しかし、それから半年後、菊田が社員を“さん付け”で呼ぶようになっていました。
後から社員に話を聞いたところ、「宮本さんがうちにきてから、すごく窮屈そうに働いている。
もっといきいき働いてほしいから、“さん付け”に変えてみよう」と言っていたそうなのです。
その話を聞いたときに、初めてチームのありがたさを感じました。
今までは、個人でがむしゃらに成果を追っていましたが、「この組織のために頑張ろう」と考え方が変化しました。
ビジネスパーソンとして、チームで成果を上げることの重要性に気づいた瞬間です。
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もちろんです。そもそも営業から人事へとキャリアチェンジをしたのは、「人と人との出会いの奥深い部分にかかわりたい」と考えたから。
求人広告の営業は、出会いの「入り口」をつくる仕事なので、自分の担当した広告によって求職者と企業側が結びついても、その後のことには関与できません。
一方人事は、「入り口」から関与し、その人の成長を支援することで、企業を支える強い組織を創り出す仕事です。
その人が持つ潜在能力を引き出すことが人事の役割の一つですから、常にメンバーに意識を向けていなければいけません。
また、極論かもしれませんが、組織とは経営目標を達成するためのフォーメーションでもあります。
あくまでも事業戦略が第一で、組織戦略はそれに紐づくものです。だからこそ、事業戦略を実行する組織が重要なのです。
組織には能力だけでなく感情や相性が作用するので、常にチームに目を向ける姿勢がなければ、組織をつかさどる人事の仕事は務まらなかっただろうと感じています。
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「翻訳スキル」が重要だと思います。
経営陣の意向と現場の意向に齟齬が生まれてしまうことも多々ありますが、中立の立場になり、「経営陣が、なぜその意思決定をしたのか」を、状況を判断し言葉を選び現場に伝えるのも人事の仕事だからです。
たとえば我が社では、今まで以上に仕入れの業務が重視されており、販売部の社員が仕入れの部署に異動するケースが多々あります。
しかし、ただ異動を通告するだけでは、その社員は「販売業務から外された思うかもしれません。
ここで伝えるべきは、「あなたが販売部から仕入れのチームに異動し仕入れが強くなることで販売部の営業活動がスムーズになる。
あなただから選ばれている、大事なミッションだ」ということです。
実際のところ、経営陣はそうした意向で意思決定をしているので、それをしっかりくみ取り、伝えるべき言葉を正確に選定し、伝えなければいけないのです。
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社員の活躍が、私にとってのやりがいです。
とはいえ人事の仕事は、「1年間かけて準備し、3年後に成果が出る」といわれているくらいですから、分かりやすい達成感を得にくいとも感じます。
現在の業務も手探りであり、正解だったかどうか分かるのはまだまだ先の話です。
それでも、日々充実した顔で働く社員を見ると、子を想う母のような気持ちになります。
会社の総会で活躍を評価される社員の中には、過去に退職を考えたメンバーもいます。
それでもこうして仲間でいられることを考えると、自分のやってきたことに誇りが持てるんです。
ただ、あくまでも、人事は会社に忠実な存在であるべきです。あまり個人に感情移入すぎるのもよくないので、フラットな目線をもった良き翻訳者としての姿勢は、これからも大切にしていきたいと思います。
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取材・文:倉益璃子、編集:オバラ ミツフミ、デザイン:岩城ユリエ、写真:宮本くみこ(本人提供)