キャリアを戦略的にデザインする方法とは──。
1社に勤め上げることが前提とされる終身雇用の時代は終わり、一人一人がライフスタイルに合ったキャリアを築く時代がやってきた。
一方で、若手社会人ほど将来への漠然とした不安を抱えているケースも多い。経験の少なさゆえに、長期的なキャリアをイメージしにくいからだ。
リクルートの経営企画、外資保険会社の営業、起業家、ベンチャー企業のCOO(最高執行責任者)と、数々の職種を渡り歩いてきた青木想(あおき・そう)さんは、「キャリア戦略とは、『HOW=手段』ではなく、『WHAT=到達したい点』を決めることだ」と語る。
自らの強みを「戦略性」と定義する青木さんのキャリアをひも解きながら、自分らしいキャリアをつくるエッセンスを抽出していく。
── 経営企画、外資保険の営業、起業家、COOとさまざまな職種を経験しています。こうしたキャリアは戦略的に築いたものですか?
今でこそ、キャリアの戦略性についてお話しする機会もありますが、はじめから戦略を持って築いてきたわけではありません。
特に、キャリアの初期は戦略なんて全く考えていませんでした。
営業がしたくてリクルートに新卒入社したのですが、配属されたのは経営企画の部署。
最初に任されたのは、PL(損益計算書)を見ながら予算と売上目標を管理する「計数管理」という仕事です。
営業志望だった私にとって、正直面白い仕事ではありませんでしたね(苦笑)。
当然、その頃は「将来のキャリアにつながるから仕事を頑張ろう」というモチベーションは、ほとんどありませんでした。
── キャリア戦略を意識し始めたのはいつですか?
リクルートから、ジブラルタ生命(米金融大手・プルデンシャル・ファイナンシャルグループ傘下)に転職した時からです。
きっかけは、離婚でした。実は、25歳と27歳で娘を2人産んでいるのですが、31歳のときに離婚して、私が親権を持つことになったんです。
金銭面の不安に加えて、2回の産休・育休による休職期間も長く、リクルートでどこまで出世できるかも不透明でした。とにかく焦りを感じて、環境を変えなければと考えたんです。
そこで「経済的に自立すること」を目標に、外資の生命保険会社に転職しました。
── 経営企画から生命保険の営業へ。未経験の職種への転職に不安はありませんでしたか?
もちろん不安はありましたが、一方ですべてが実力で評価される環境に燃えてもいました。
外資の保険営業は、給与形態がフルコミッション(完全歩合制)なので、お客様からお預かりした契約がすべて自分の収入につながります。
遠回りしている暇はないので、とことん仕事に打ち込めて、成果がお給料にもつながる場所がいいなと考え、転職を決めました。
あとは、営業力と人脈を身につけておきたいという気持ちもありました。
ビジネスパーソンとして生きていく上で、汎用性の高い「営業」というスキルは役に立ちますし、「人とのつながり」があれば路頭に迷っても誰か助けてくれるはずだから、人脈は欠かせないと考えました。
そのすべてが最短距離で手に入るのが、外資の生命保険会社だったのです。
── ジブラルタ生命では、全国の新人1387人のうち3位という営業成績を残したと聞いています。何か工夫した点はありますか?
よく聞かれるのですが、特別な工夫はしていません。ひたすら、保険商品を売って、売って、売る。その繰り返しです。
365日保険のことを考えて、1週間に2件以上契約していただくという生活を、74週続けました。お正月も休まず、元旦から働いていたほどです。
—— そこまで頑張れたのはなぜでしょう?
離婚を通して「自分の人生は自分で切りひらいてやるんだ」という気持ちが強くなっていたからですね。
人間、前向きな気持ちよりも、悔しいとか憎いとか、そういう負のモチベーションのほうが頑張れるものです。
とにかく、自分にも環境にも負けたくない、絶対に勝ってやるんだ、と意気込んだ結果だと思います。