【新潮流】GOプランナー、会社ではなく師匠を選ぶ働き方

2021年6月21日(月)

面接から逃げた

—— 現在、GOでコピーライター/プランナーとして活躍されていますが、就活では苦戦したそうですね。

企画を考える仕事がしたくて、特にラジオやテレビなどでのコンテンツ制作に興味があったため、まずはそこから受けましたが、軒並みダメでした。

面接やES(エントリーシート)を書くなど、就活の基本的なルールやセオリーをよく分かっていなかったのだと思います。

それどころか、面接官に張り合おうと「その質問の意図はなんですか?」なんて食ってかかったりして。

若い奴はこのくらい積極的なほうが生意気でかわいいと思われるのではないかと、勘違いしていました。姑息な考えですよね。

—— それで選考の結果はどうでしたか?

全落ちしました。

しかも、1次だとか書類だとか初期段階で落とされがちでした。

めちゃめちゃ悲しくて、落ち込みました。僕は世に、求められてないんじゃないかと(笑)。

—— ちなみに、GOと同じ広告クリエイティブ業界の電通や博報堂は受けましたか?

受けました。電通は1次で、博報堂は2次のタイミングで面接から逃げました(笑)。

面接に落ちて落ち込む人は多いですが、僕なんて落ちるのが怖いからそもそも受けるのをやめようという始末です。

—— それで、GOとは出会いは?

僕は就活がうまくいかない上に、留年してて。

大学3年のときから、博報堂ケトル内の編集プロダクションでインターンをしていたのですが、卒業すると思ったので、それもすでに辞めていました。

そんな時に、たまたま独立系クリエイティブブティックの特集が組まれていた広告の雑誌「ブレーン」を読んだんです。

そこに、できたばかりのGOも掲載されていました。

その時期は、独立系のブティックがポコポコと出てきたタイミングで、中でも、GOが標榜する“事業クリエイティブ”という言葉を知って、面白そうだなと。

広告やPRを手がけるだけではなく、事業の上流から携われるという謳い文句が気になったので、門を叩いてみようと思いました。

もっとも、当時は事業クリエイティブが指す具体的な意味や、それの何が新しいのかまでは全然理解できていなかったのですが。

—— インターンの募集があったのでしょうか?

全くしていなくて、ホームページさえなかったと思います。多分、あったとしても「GO」と書いてあるだけで、何をクライアントに約束している会社なのかも分かりませんでした。

代表の三浦崇宏のことも、よく知らなかったくらいです。

三浦さんも博報堂の仕事をしていたことから、ケトルの人を通して「アルバイトを募集していませんかね?」と聞いてもらいました。

すると、「一回連絡をください」とメールが来たので、ここで直談判するしかないなと思って、履歴書を送りました。

そのあと、三浦さんから「面談しましょう」と連絡が来たのです。

—— 面談では、どのようなことを話したのですか?

まずはクリエイティブのテストの課題を2つ出されました。

1つがクリエイティブテストで、GOが抱えていた案件の企画を考えろというもの。

2つ目は、方法は自由でいいから、三浦さんに1本の映画を見させる、というものでした。

特に、後者には、頭を悩ませました。要は、企画で人を実際に動かせられるか、というポイントを求められていたのですが、僕が仕事としてやりたいのは言葉を起点に様々な企画を設計することだと伝えていたので、ストレートにコラムを書いて勝負しました。

結果的には、『ムーンライト』という映画を、当時アカデミー作品賞を争った『ラ・ラ・ランド』との比較も交えながら「下剋上物語」としての観点で紹介したところ、無事三浦さんに見てもらうことができました。

ところがそれで終わりだと思ったらさらに関門があって、「人間力テスト」というものを出されました。

ギャグみたいな話なんですけど、今週末に会社のバーベキューがあるからと、いきなりお金を渡されて、全部お前が仕切れと言われました(笑)。

さすがに理不尽すぎると思ったのですが、逆にそんな経験ないから面白がってみようと思って、必死に業者を調べて、なんとかケータリングや食材を集め、バーベキューを成功させました。

その後、そのままの流れでインターンとして働くことになりました。

師匠の思考プロセスが分かる

—— インターンでは、どのような業務をしていたのですか?

当時、GOのメンバーが3人しかいなかったので、資料の作成や情報収集など、いわゆる新人のやるような仕事はもちろん、ありとあらゆる雑用をしていました。

便所掃除から、プライベートな手伝いとかまでです。忙しい社員がやるには大変だけど、絶対に誰かがやらねばならない、組織におけるよくいったら“エッセンシャルワーク”をやっていたという感じでした(笑)。

基本的には、それが7割くらいで、残りの3割くらいで企画出しをやっていました。インターン時代に2回くらい、実際にクライアントまで持っていった企画があり、そのうち1個は世に出た企画もありました。

—— 企画の立て方は、トレーニングを受けていたのですか?

いや、当然受けていません。企画術の本などもいろいろと出ていますが、それだけで企画力がインストールできたらそんな簡単なことはないと思います。

僕にとっての一番の教育環境は、最前線で活躍するさまざまなクリエイティブディレクターのボツネタを見られるという環境があったこと。

職場で長い時間一緒にいるので、書き散らしたメモなどを含めて、彼らの思考の足跡が、オフィスの至る所に落ちています。

その過程で、ああそうか、あれはダメで、反対にこれはOKなのか、みたいな企画設計における判断軸が無意識のうちに学べて、刺激的でした。

—— インターンに申し込んだときは、正社員として入社するのが前提でしたか?

いや、成り行きでした。

インターンをして5カ月目くらいに、社員の方に「お前、入社しろよ」みたいなことを言われて。

正直、3〜4カ月くらいは「いやー」って感じの態度を取ってて、うっすらラジオ局とかに再就活もしていました。ただ、最終的にはポジティブな理由で入社した記憶があります。

インターンを始めて、1年くらい経って、GOの注目度が高まったことで僕自身が打席に立てる回数も増えたのが大きな理由です。

その後、正社員として入社して4カ月目の頃に、アメリカのラッパーのケンドリック・ラマー来日の広告の仕事などに参加させてもらいました。

会社ではなく上司を選ぶ

—— 大手広告代理店ではなく、スタートアップ型のGOを選択したからこそ、できた体験はありますか?

何より打席に立てる数は圧倒的でした。例えば、「企画を出して」と言われる回数も、大手の広告会社にいる人より、僕のほうが絶対に多かったのではと思います。

僕は体験したことがないため、推測でしかないですが。単純に企画にかかわる人数の問題で、必然的に僕が担う領域も広かったとは思います。

当然、打席に立てば立つほど採用される率も上がるし、何より大事なのは、ダメ出しをされる回数が多ければ多いほど、へこみますが、その半面、企画の精度や言葉の練度は高まってゆくので、その点も有利だったのかなと。

多いときは、コピーや企画を50とか100とか持っていき、9割5分くらいは強烈なダメ出しを食らいました。

スタッフの人数が少なかったので、僕に対するフィードバックも濃かった。

—— つまり、フィードバックが多いからこそPDCAが回しやすく、早くに成長できるというわけですか?

この仕事をする上で、PDCAだけが大切だとはまったく思いませんし、そうした考えを鵜呑みにしすぎると突然変異的な進化が生まれずらくなるという側面もあります。

ただ、僕の場合はこの環境で学べて良かったと思っています。

広告クリエイティブを志望する人は、まずは業界で選びます。次に、それぞれの会社の特徴をなんとなく把握して、もう少し調べている人だったら、いや、電通の中でもCMをやりたいとか、新規事業をやりたいとか、デジタルをやりたいんだといった分野や仕事で考える。

さらに深いことを考えている学生は、多分、特定のクリエイターの〇〇さんに学びたいとか、人で選ぶようになるのだと思います。

だから業界でも会社でもなくて、どんどん属人的な選択を取る。

僕がやったことも基本的にはそういう発想だったと思います。

大きな代理店に入り、能力も趣向も未知数の上司のもとで、ガチャ的に人事配属されていたら僕はすぐに腐っていたかもしれない。

ただ、僕のやり方は、「名刺で勝負したい」と思っている人には、お勧めしないですが。

—— 名刺で勝負とは、どういうことでしょうか?

例えば食事の席で、何者か問われたときに、「なんとか商事です」とか所属で自己紹介を完結させたいタイプの人には、あまりお勧めしないという意味です。

良い悪いとかでは決してなく。

まあ、今ではこんな格好つけた風なことを言っていますが、僕は小心者だから当時は逡巡もありました。大学が慶応だったので、周りは本当にいわゆる華々しい進路をたどるわけです。

そんな中、同級生に「お前、どうするの?」などと言われて、「スタートアップに行く」と言ったら、あからさまに「ドンマイ」みたいなリアクションをする人も当時はいました。

僕はその時、まだ何も実績がなかったので、被害妄想も含めて、その度にうじうじ悩んでいたのを覚えています。

—— そうした劣等感は、実績を出すことで、なくなりましたか?

そうですね。企画の技術を学べば学ぶほど、プロとのレベルの差を痛感することも増え、そもそも同級生たちと比較する心の余裕がなくなり、他人とは戦っている場所が違うんだと思いこむようになりました。

違和感に向き合う

—— 就活で結果が出なかったり、うまくいっていない人にアドバイスをお願いします。

あくまで全滅した僕の考えですが、こんなこと考えたら面接官に嫌われるのではないかと思って、自分の好きなものを隠したり取り繕うのは、やめたほうがいいと思います。

他人の人生の方針に対して無責任なことは言えないものの、「自分が面白いと思うことにしか価値がない時代」だということは間違いなく言えます。

例えばアイドルの推し活をしているなら、社会人になったところで偏愛の対象を変える必要なんてないし、超ハードコアな音楽が好きなら、この人には言っても分からないだろうなんて思わず、むしろその熱を積極的に伝えたほうが、相手はあなたに興味を持ってくれるはずです。

これからの時代は、そういう自分のフェチや内発的な感情だけが唯一あなたの守り抜くべきものだと思います。

反対に自分が覚えた違和感には、しっかり向き合うことが大事だと思います。

—— ちなみに、飯塚さんの、内発的動機は何ですか?

僕は、社会に第2、第3のオルタナティブな解を常に生み出したいと思っています。無数の正解が、同時に存在しているほうが面白いので。

もう少し分かりやすくいうと、既存のルールや下馬評を、アイデアの力で揺さぶるジャイアントキリング(持たざる者が強い者に打ち勝つこと)みたいなことにワクワクします。

そして、それを単に空想するだけではなく、具体的に実装するためにこそ、企画設計などクリエイティブの技術が力を発揮するのではないかと思っています。

広告の仕事は揶揄されがちなことも多いけれど、良心的な広告の世界の人たちが考える優れたアイデアや企画には、社会の中に新しい価値観を定着させ、耐久性の長い文化資産を残しうるポテンシャルがあると僕は信じたいです。

だからこそ、僕もそんな仕事を仕掛け続けたいし、それを実行するのはGOでなくても全然いい。そもそも領域も広告に限定する必要はないですし。

そうした挑戦ができる環境に常に身を置き続け、たくさんの才能と協働できるようなスキルを磨き続けたいと考えています。

学生の方にも、自分が面白いな、好きだなと思う部分を、やたらめったら安売りしないほうがいいとは伝えたいですね。

合わせて読む:【GO三浦崇宏】コロナ禍の広告業界はどう変わるのか

取材・文:平瀬今仁、編集:佐藤留美、デザイン:岩城ユリエ、撮影:遠藤素子