【再起】ラグビーのプロを諦めた僕が、なぜM&Aのプロになったか
2021年6月10日(木)
はい。大学にいた頃は就職活動をせず、プロになる気満々でした。
プロの夢を抱いたのは大学3年時、ラグビーの盛んなニュージーランドへ半年間のラグビー留学をしたときです。
高いレベルのラグビーに触れ、「一度きりの人生、好きなスポーツを限界までやってみたい」という思いがあふれてきました。
また、当時は漫然と就活をすることに違和感を持っていて。周囲の友だちが何十社、何百社とエントリーシートを出している姿を見て、「本当にやりたい仕事と思って応募しているのか」と感じていました。
やりたくもない仕事に自分を売り込むことに、力も気持ちも入らなかったのです。
大学を出てから改めてニュージーランドに渡り、カンタベリーユニバーシティという現地の強豪チームに入れてほしいと直談判しました。
「高いレベルでプレーすることで成長し、日本でプロになりたい」「だからここでやらせてくれ」と。
正式なアポイントではなく、コネもない状態だったので、本当にダメ元でした。でも、運良く練習試合を集中的に行う期間と重なり、監督から「期間中に何度か起用するから、そこで実力を発揮できたらチームに加える」と言われたのです。

それから約1年間で、私は1軍の年間最優秀守備選手と、チームマンシップ賞の2つに選ばれました。
世界的な強豪のオールブラックス(ラグビー・ニュージーランド代表)にも数々の選手を輩出するチームだったので、大きな自信につながりました。
同じチームでプレーしていた、神戸製鋼ラグビー部「コベルコスティーラーズ」の選手たちとの交流がきっかけです。
神戸製鋼は毎年、所属選手を何名かニュージーランドに短期派遣していました。その選手たちと顔見知りになり、「ウチのテスト受けてみなよ」と声をかけてもらったのです。
ただ、神戸製鋼は世界各国のラグビー代表選手が集まる名門中の名門です。トライアウトを受けてみたら、歴然とした実力差を感じました。
体格面を含めて、それはもう、努力では埋められない先天的な壁でした。
そんな選手たちとポジションを争ういばらの道を歩むのか。それとも、自分の限界を知れたことで、別の道を歩むのか。そう考えたとき、ラグビーで培ってきた経験を、何か別の仕事に生かしたいと考え始めたのです。
私がラグビーを続けていた理由の一つに、中途半端でやめたくないという思いがあったんですね。
大好きなラグビーから逃げてしまえば、その後に何をするにしても、中途半端になってしまう。それなら、ラグビーに対してけじめがつくまでやりたいと。
そして、自分の限界を知れたのが神戸製鋼のトライアウト。23歳のことでした。
まずは自立した生活をするため、福利厚生の良さそうな会社に入ろうと動いていました。
インストラクターやコーチなど、スポーツ関係の仕事も考えましたが、「何かが違う」と思いながら再び思案するという繰り返しで。職業の知識がまるでなかったので、思いつく仕事も限られていました。
しかも、当時は秋に差し掛かっており、企業の新卒採用はひと通り終わっていました。
こうして悩んでいたところ、たまたま見た就職情報サイトで大手電機メーカーが募集をしていて、新卒枠で採用してもらえたのです。
大企業なので、入社後の研修制度も充実していて、「とりあえず生活できるな」という感覚でした。
とはいえ、やりたいことを見つけたわけではなく、仕事の面白みも見いだせません。
言い方は悪いですが、福利厚生がしっかりしている企業で働きながら、次の道を探そうと、毎日悶々と過ごしていました。

大学ラグビー部の先輩だったグロウシックス社長の中島(光夫さん)が、起業して半年くらいたった頃に出張で大阪に来て、「飯でも行こう」と誘ってくれたのがきっかけでした。
実は、私がニュージーランドにラグビー留学をしたのは、中島の影響があったからです。
彼もニュージーランドにラグビー留学をしていて、帰国後のプレーは、大学1年生だった私にとってとにかく魅力的でした。
中島はその後、新卒でGE(ゼネラル・エレクトリック・カンパニー)に入社し、現在行っているM&Aアドバイザリー事業の土台になる金融業務に従事していました。
次に入ったM&Aキャピタルパートナーズでは3度も社長賞を獲るなど活躍した後、起業したことも、SNSを通して知っていました。
私と似た経験を持つ憧れの先輩に、「やりたくないことをやって悶々としているなら、ウチに来いよ」と声をかけられ......。これはラグビーで培った経験がビジネスでも通用するかどうかを試す絶好の機会だと感じました。
その場で「やらせてほしい」と即答すると、翌日には勤め先に退職届を出していました。
いえ、M&Aという言葉自体は知っていたものの、「企業買収や合併のお手伝いをする」くらいの理解しかありませんでした。
それでも興味を持ったのは、中島の話から華やかさを感じ、ともにプロのラグビー選手を志した人間がそんな舞台で活躍しているという憧れが先行したからです。
未経験でM&Aアドバイザーになったので、イメージも何もない状態から学び続ける毎日でした。
でも、大変ではあっても「できない」「合わない」と思ったことはないです。
ラグビーもM&Aも、チームプレーが求められるからです。
私がラグビーに没頭していた一番の理由は、チーム全員でトライを目指す競技だから。M&Aも、買い手企業と売り手企業の間に我々が入り、密にコミュニケーションを取りながら成約を目指します。
この点が、意外にハマったのかもしれません。

専門書を読んで独学もしましたが、やはり生の声には勝てないと、先輩にひたすら教えを請いました。
あとは見よう見まねです。
先輩に同行する際は、クライアントとの会話をボイスメモで録音し、帰宅後にその音源を繰り返し聞きました。電話対応も一言一句聞き漏らさないよう、先輩の隣でかじりついて聞いていました。
毎日学び、それを実践するという繰り返しで、知識を身につけていきました。
会社の売却、あるいは買収を望むクライアントへのコンサルティングが基本的な仕事です。
私たちは売買する両社の間に入り、法務や税務、財務の専門家と連携しながら条件をすり合わせていきます。
売買の仲介をしようにも、クライアントがいなければ始まらない仕事なので、新規開拓も行います。
私はまだ経験が少ないので、特にそうですね。
大切に育ててきた企業を「売りたい」と考える経営者は、決して多くありません。ただ、事業承継に悩んでいるなど、将来的な課題を抱えている方はたくさんいらっしゃいます。
新規開拓は、このような潜在ニーズを掘り起こすところから始まります。
そもそもクライアント獲得のルートは大きく3つあって、一つは弊社の実績を確認してお問い合わせいただくケースで、次が人脈をたどってご連絡をいただくケース。3つ目が新規開拓です。
弊社独自のデータベースや顧客リストを使って、電話をかけたりお手紙を送ったりするのが主なアプローチ方法です。
グロウシックス以外にも、M&Aの仲介を行う企業はたくさんありますが、それぞれが持つリストは各社固有の重要な資産です。
この独自リストに加え、社員個人の持つリストも当然あります。入社当時は、それらも会社の財産として先輩たちに共有してもらいました。
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今もかかわっている案件の一つに、薬局など医療業界のM&Aがあります。
高齢化が進み若い働き手が減る日本で、医療業界は国の医療費削減の影響も受けて年々経営環境が厳しくなっています。
そこで、現状維持もままならず、後継者不在で事業継承に不安を抱えている中小企業などにアプローチしていくのです。その後、面談の機会をいただきニーズがあれば、実際にM&Aのプロセスに進みます。
M&Aのプロセスはケース・バイ・ケースで、企業の全株式を譲渡する場合もあれば、事業のみを譲渡する場合もある。従業員の扱いも案件ごとに異なるので、契約書の数は膨大になり、それぞれの内容も専門的です。
最初のアポイントから成約に至るまでに、覚えなければならないことがたくさんありました。
例えばPMIで難しいのは、従業員の引き継ぎに伴う感情面のマッチングです。従業員への通知は、M&Aの直前に行われるので、困惑する従業員が少なくありません。
直近の案件でもそういったケースに遭遇しましたが、細やかなサポートと説明を繰り返すことで従業員の皆さんに納得してもらい、譲渡後も引き続き在籍する形で落ち着きました。
従業員は、事業を構成する大きな要素の一つです。1人辞めるだけでも、その従業員についていたお客様が離れる可能性が出てきます。
ですから、日々やりとりをする経営者だけでなく、社員全員への配慮が欠かせません。
ほかに、取引先との契約や、役所への許認可の変更といった業務にもかかわっています。繰り返しになりますが、これらは複雑で専門性が問われる業務なので、先輩の仕事を間近で見ながら覚えるのが大切です。
自分なりにマネしてみて、何か間違っていたらすぐに修正する。何度も契約書をつくり直し、弁護士や司法書士にも繰り返しアドバイスを請いました。
全て地道な作業でしたが、入社1年目から与えられた予算(ノルマ)を2倍くらい達成できたので、プロになる道を進んでいると実感しています。
先ほども話しましたが、私にとっては「チームで同じゴールを目指す」という仕事のスタイルがハマったのだと思います。
ラグビー選手とM&Aアドバイザーは何もかも違いますが、ラグビーが好きな理由と、M&Aの仕事には共通点がありました。
もし、やりたい仕事に就けず悶々としている方がいるなら、働き方の共通点に注目して、やりがいを持てそうな仕事を探すのもいいかもしれません。

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取材:佐藤留美、文:小谷紘友、編集:伊藤健吾、デザイン:黒田早希、撮影:遠藤素子