「マーケターはお客さまの幸せを考える仕事。しかし、私にとっては一緒に働く仲間の幸せを考えるほうが納得感があったんです」
そう話すのは、2020年の夏、人材・組織開発や組織カルチャーの醸成を支援する企業Almoha LLCの共同創業者兼COO(最高執行責任者)となった唐澤俊輔さん。
2005年、日本マクドナルドにマーケターとして新卒入社した唐澤さんは、史上最年少(28歳)で同社のマーケティング部長になるなど、将来を担う社員として期待されていた。
しかし、30代になってからマーケターの肩書きを捨て、人事・組織開発の仕事へジョブチェンジ。今年8月には『カルチャーモデル 最高の組織文化のつくり方』を上梓するなど、組織開発の専門家として活躍している。
異なる仕事で結果を出すために、どんな経験を積んできたのか。学生時代から現在に至るまでの経緯を赤裸々に語ってもらった。
—— 唐澤さんは新卒で日本マクドナルドに入社しています。当時はどのような基準で、就職活動をしていたのでしょうか?
本音を話すと、最も重視していたのは「安定」だったと思います。大手メーカーやメガバンク、鉄道会社など、いわゆる大企業を中心に応募していました。
私は大学(慶應義塾大学)で法学部にいたので、当初は、弁護士など法律関係の仕事を目指していました。
その勉強中、法律家として事業の支援をするよりも、自分でより直接的に事業を成長させる仕事がしたいと思い、企業に就職する道を選んだのですが、親が公共インフラの仕事をしていたこともあってか、どこかに安定志向があったのでしょうね(苦笑)。
一方で、職業選びについては、就活を始めてすぐ、マーケティング職に興味を抱きました。きっかけは、大学3年生の頃に参加した、花王のマーケティング部門でのインターンシップです。
ヘアケア製品『ASIENCE』担当のブランドマネージャーが、「社長に『いくら費用をかけてもいいから、絶対に失敗するな』と言われました。大きなプレッシャーの中でリリースした商品が、小売店で売上1位を獲得したと聞いた時は、思わず涙があふれました」と話していた姿に、心を打たれたんです。
「大人をこんなに本気にさせる仕事ってカッコいいな」と思いましたし、実際にマーケティングの仕事を体験してみても、自分にフィットする感覚がありました。
こうして「大企業」と「マーケティング職」の2つの軸から最終的に選んだ就職先が、日本マクドナルドでした。
—— 唐澤さんが就職活動をされていた2004年当時、日本マクドナルドは赤字でした。より「安定」していた大企業は、他にもあったのではないでしょうか?
おっしゃる通り、当時の日本マクドナルドは早期退職者を募った直後で、混沌としているようでした。
しかし裏を返せば、自分の努力次第で、早いうちから実践経験を積むことができます。確かに「日系大手=安定」のイメージはありましたが、高校生の時に山一證券が破綻するなど、その安定は絶対ではないと感じていました。
安定するにはむしろ、「企業の大きさ」よりも、どこでも働けるだけの実力を付ける「成長」こそが重要なのではないかと思うようになっていたのです。
また、日本マクドナルドは、当時にしては珍しく職種別採用をしていたので、今で言う“配属ガチャ”のリスクがありませんでした。マーケターとして、着実にスペシャリティを磨くことができるとも考えました。
最終的に、大手金融機関や外資コンサルティング会社の内定をお断りして日本マクドナルドに入社した時は、周囲から「もったいない」とあきれられたものの、「自分が選んだ道を正解にするしかない」と腹をくくって入社を決めました。