人生の分岐点は、いつ、どんな時に訪れるか分からない。
未上場で時価総額が1000億円を超えるスタートアップを渡り歩いてきた森山大朗さんは、28歳でいったん会社勤めを辞め、飲食店のアルバイトを経験したことが、現在のキャリアを形作る礎になったそうだ。
「エリートとは程遠い」と語る彼のキャリアを紐解き、人生を劇的に変える分岐点のつくり方について考えた。
人生の分岐点は、いつ、どんな時に訪れるか分からない。
未上場で時価総額が1000億円を超えるスタートアップを渡り歩いてきた森山大朗さんは、28歳でいったん会社勤めを辞め、飲食店のアルバイトを経験したことが、現在のキャリアを形作る礎になったそうだ。
「エリートとは程遠い」と語る彼のキャリアを紐解き、人生を劇的に変える分岐点のつくり方について考えた。
おっしゃる通りで、現在は「Technical Product Manager」の役職をいただいていますが、当時はサービス開発の経験がなく、プログラミングもかじった程度でした。「自分で何かを”つくる”仕事がしたい」という漠然とした思いはありましたが、結局は何をつくりたいのかが分からず、バイトもせずに家でダラダラ過ごしていた時期があります。
一般的に「履歴書に空白期間をつくると転職が難しくなる」と言われていますし、実際そういう傾向はあると思います。
しかし、当時の自分にとっては、中途半端な転職をするよりも自分のやりたいことや適性をじっくり見極める方が重要でしたし、結果的にその「潜伏期間」が現在の僕を形作っていることは間違いありません。
新卒で入社したのはリクルートグループです。明確にやりたいことがあったわけではありませんが、リクルートといえば営業が花形で、入社当時は漠然と法人営業をやってみたいと考えていました。
しかし、最初の配属は人事部採用担当でした。「自社の魅力を伝える仕事」なので、営業とも共通点はあります。とはいえ、ビジネスの世界で生きていく以上、直接「売上をつくる仕事」をちゃんと経験したくて、2年目からは法人営業部門に異動させてもらいました。
そして、リクルートで3年が過ぎて「ある程度区切りがついたな」と感じた私は、社外で出会った経営者の誘いで日本のベンチャーキャピタルの走りであるネットエイジ(現ユナイテッド)グループの会社に転職しています。
サービスを売る仕事よりも、モノづくりというか、サービス自体を発案、開発する仕事がしたいと漠然と考え始めていましたし、インターネットの仕組みをもっと理解したいとの思いからでした。
しかし、そこでの仕事は、国内や海外の大企業のWebマーケティング支援で。「インターネットの仕組みを技術的に理解する」というよりは、「インターネットを上手く使う」というもの。リクルート時代とは全く異なる、企画立案や論理的に考えるスキルが身に付いて成長実感はあったものの、2年で退職してしまいました。
僕の潜伏期間は、この2社目の退職後に生まれた時間です。
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