【大変身】看護師からマーケターへ、ゼロから築く異業種キャリア

【大変身】看護師からマーケターへ、ゼロから築く異業種キャリア


この記事に登場するロールモデル

憧れ続けた仕事に就けたにもかかわらず、その道で挫折してしまったら……。

アパレルブランド「RAHA KENYA」で働く佐藤南帆(さとう なみほ)さんは、学生時代から憧れていた「子どもたちの自立支援」の仕事を手にするも、あまりの過酷さから退職を決意。

やっとの思いでたどり着いた仕事で、人生最大の挫折を経験した。しかし、マーケターへとキャリアチェンジをした彼女に話を聞くと、「キャリアに悩み続けた数年前とは違い、今は毎日が充実している」と語る。


「夢のかなえ方は一つではない」と話す佐藤さんに、ゼロからキャリアをつくる方法を聞いた。

【大変身】看護師からマーケターへ、ゼロから築く異業種キャリア

目次

「祖父母の笑顔」が原体験



—— 現在はマーケターとして働いていますが、もともとは看護師をしていたそうですね。



はい。看護師になった理由には、私の生い立ちが関係しています。


両親が共働きをしていて、私はいわゆる“鍵っ子”でした。そのため、学校が終わると祖父母の家に遊びに行っていたのです。


ただ、祖父母の体調が少しずつ悪くなり、ホームヘルパーさんが自宅に訪問するようになりました。


ヘルパーさんは家事や買い物のお手伝いもしてくれます。すると、祖父母がとてもうれしそうにするのです。


その光景を見て、はじめは介護士を目指しました。


ただ、ある出来事があり、介護士を諦めて看護師になる道を選択しています。


—— なぜ、看護師へと目標を変えたのですか?


「医療の知識がないために、慌てふためいてしまう」シーンに遭遇したからです。


高校生になり、就職前に詳しく介護士の仕事を知ろうと、介護施設のボランティアに参加していました。


高齢者の方は、体調が急変することがよくあります。


しかし、介護士は医療の知識を持たない人が多いので、有事の際に対処できないことが少なからずあったのです。


そこで、介護士ではなく、看護師を目指そうと、目標を切り替えました。


病院勤務からキャリアをスタートし、そこから3年間、重症病棟看護師として働いています。


視野の狭さを思い知る

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