2000年の約380万人から、2017年には約181万人に(農林水産省調べ)——。
農業従事者の減少が危ぶまれ始めて早数年。一時期、数々の民間企業が農業界に参入する「農業ブーム」が巻き起こったが、現在も国内農業市場は縮小の一途を辿っている。
そんな農業界に変革を起こすべく、「守りながら、変えていく」を合言葉に、農家の右腕として経営改善に勤しんでいるのが佐川友彦さんだ。
佐川さんのファーストキャリアは、外資化学メーカー、デュポンの研究職から始まる。その後創業期のメルカリや、1年間の空白期間を経て、辿り着いたのは個人経営の農家「阿部梨園」。現場の声に寄り添いながら、日々の経営改善の積み重ねを通して着実に業績を向上させていった。
驚くべきは、苦労を重ねて得た「阿部梨園」の経営改善事例を無料で公開しているWebサイト『阿部梨園の知恵袋』。目先の利益ではなく、農業界全体の未来を本気で考えている姿勢が伝わってくる。
現在は、「阿部梨園」で得た知見を活かし、ファームサイド株式会社の代表として、農業界全体の経営改善に注力。今年の9月には『東大卒、農家の右腕になる。』も上梓した。
一見、華麗なる転身に思えるが、当の本人は「そんなに綺麗な話でもないんです」と語る。ファーストキャリアでは心の病で挫折を経験し、その後1年間、無職の期間もあった。
これらの“潜伏期間”をどのように乗り越え、今の仕事に辿り着いたのか、赤裸々に語ってもらった。
佐川さんのキャリア選択の出発地点は、小学3年生の頃に遡る。当時、図書館で借りた本を通して、“地球には寿命がある”ことを知り、子供ながら地球で起こっている環境破壊に対して危機感を抱いたそうだ。
幼い頃に抱いた課題感は、キャリア選択の重要な節目となる大学進学にも強い影響を与えた。東京大学に現役合格すると、農学部でバイオマスエネルギーの研究に熱を注ぐ。
大学院修士1年の夏に迎えた就職活動では、シンクタンクから公務員まで幅広い業界を見て、最終的には外資系化学メーカーのデュポンに入社した。
デュポンでは事業部には属さず、社長室直下の先端技術研究所に所属。先端技術研究所はメンバーが10名程度しかいない、いわば先鋭部隊。佐川さんは、国内の名だたる企業が集まるコンソーシアムにも参加していた、期待のルーキーだった。
「私がかかわっていたのは、太陽光発電パネルに関連する事業です。経産省下の研究機関と、100社以上の民間企業を巻き込んだ大規模なプロジェクトに参加していました。若手社員が担当するケースは稀有であり、大きなやりがいを感じていました」
しかし、順風満帆に思えた佐川さんの社会人生活は、研究開発特有のプレッシャーに蝕まれていく。
「研究はそもそも成功率が数%以下の世界です。『成果を出さなくてはいけない』というプレッシャーが、常につきまとっていました。しかし、結果が求められるビジネスの世界ではそうも言ってられません。
ただ、やはり自分には難しい挑戦でした。悪戦苦闘していましたが、『重圧に耐えながら続けられるほど、研究を好きになれない』ことに気付いてしまったのです」
研究職として働いている人の中には、研究そのものを目的としている人もいる。しかし、佐川さんにとっては、研究はあくまでも環境問題を解決するための手段でしかなかった。
自分のやりたいことを見失った佐川さんは、鬱状態となってしまい、4年間勤めたデュポンを後にする。