【富士通・25歳】学歴コンプレックスを克服した「過去より未来」の考え方

2021年4月2日(金)

学歴コンプレックスの克服方法

—— 居城さんの大学生活は、「挫折からスタートした」と聞きました。

大学受験に失敗してしまい、僕の大学生活は失意からスタートしています。

いくつか合格した大学もありましたが、物理的な距離から通学が難しかったり、そもそも志望していなかった大学に大変な思いをして通うことに納得がいかなかったり。

浪人も含め、改めて進路を検討し直しました。

しかし最終的には、地元から距離が近い産業能率大学に進学しました。

それまでは名前も知らない大学でしたが、キャリア教育に力を入れていることを知り、自分の頑張り次第では、充実した大学生活を送れるのではないかと考えたのです。

—— 進学してみて、挫折感やコンプレックスは解消しましたか?

今となっては馬鹿馬鹿しいと感じますが、入学後もコンプレックスを拭うことができず、大学に通いながら受験勉強を継続して、再度大学受験しようと試みていました。

いわゆる、仮面浪人です。

僕の友人の多くは、いわゆる難関大学に進学していました。

僕はそれらの大学に不合格で、彼らと会うたびに悔しい思いをします。

一刻も早く、その呪縛から解き放たれたいと頭を抱えていましたね。

でも、最初の夏休みを迎えた頃には、仮面浪人をやめました。

「コンプレックスがなくなった」といえば嘘になりますが、いつまでもコンプレックスに縛られている自分が情けなくなったのです。

—— なぜ、心情に変化が起きたのでしょうか?

2つの理由があります。

1つは、同じ大学にも、さまざまなバックグラウンドを持つ人がいたことです。

大学を辞めて再入学してきた人、国立大学に落ちて入学してきた人、すでに自分で事業を立ち上げている人。

彼らを見て、自分だけがコンプレックスを持っているわけではないし、置かれた状況で努力することの大切さを思い知りました。

2つ目は、高校の同級生たちが、どこに進学しようと一様の学生生活を送っていたこと。

彼らが卒業後に自分の入りたい企業に入社して活躍していくのであれば、大学生活に真剣に打ち込めば、学歴の差を逆転できるのではないかと気持ちを切り替えられたのです。

安くない学費を払い入学したのに、機会を無駄にするなんて、もったいない。

やるからには全力を尽くすべきだと考え、「選んだ選択肢を正解にする努力」をしようと決めました。

愚直な就職活動と予期せぬ学歴の壁

—— 大学生活では、どんな活動をしていたのですか?

最も力を注いだのは、ゼミ活動です。

ゼミ長に立候補し、商店街の復興をテーマに掲げたプロジェクトを主導しました。

対象となったのは、東京都品川区にある「中延商店街」。

以前よりもチェーン店が増加し、昔ながらのお店の中には、厳しい経営を強いられている店舗がありました。

そうした状況を改善すべく、ベッドタウンという特性に鑑みて、主婦の方々をターゲットにしたフリーペーパーを数千冊配布しました。

プロジェクトの期間は、丸々1年間。

地元の方と食事をして、等身大の悩みを知り、それらを解決できるよう惜しみない努力をしました。

座学から得られるマーケティングの知識を、ゼミ活動で実務として生かし、実務から得られる経験を座学で深めていく。

その過程は非常に学び多いものでしたし、就職活動が始まる前に「限界といえるまでやりきった」と胸を張れる経験ができたのは、大きな自信になりました。

その頃には、受験に失敗したコンプレックスはなくなっていましたね。

—— 就職活動についても、教えてください。

教科書があるとするならば、その1ページ目から順にめくっていくような就職活動をしていました。

最初に取り組んだのは、業界研究です。

ただ、途中から、業界で志望先を考えるのはやめました。

というのも、業界で志望先を絞ると、本当に自分に合った企業に出会えない可能性があるからです。

学生生活同様、就職活動も納得いくまでやりきろうと、効率を考えず毎日のように説明会に足を運びました。

—— どのような基準で、会社を選んでいたのですか?

社会に対して、貢献度の高い仕事がしたいと考えていました。

当時はどのような業務をするかより、自分の仕事が日本、ひいては世界のために役立っていることを実感できる仕事を求めていたと思います。

—— 学生時代の努力は、就職活動に結びつきましたか?

こうして働けていることを考えれば、評価していただけたのだと思います。

しかし、就職活動には苦労しました。

例えば、ナビサイト経由で説明会にエントリーを試みた際に、他大学の生徒のエントリー画面には「空席あり」と表示されているのにもかかわらず、自分のエントリー画面には「満席」と表示されている。

つまり、学歴が理由で、説明会に足を運ぶチャンスすら与えられなかったのです。

そうした場面は、一度ならずありました。

僕の活動を知った方に推薦をいただき、企業の面接を受けられることになったものの、学歴を理由に直前でお断りされてしまったこともあります。

仕方のないことだと思いますが、自分なりに精一杯努力してきたつもりだったので、「どこまでいっても学歴がつきまとうんだ」と落ち込みましたね。

そうした経験もあったので、「そもそも目を通してすらもらえないのではないか」と、恐る恐るES(エントリーシート)を出した企業も少なくありません。

現在勤めている富士通も、そのうちの1社でした。

学歴コンプレックスを克服し、大企業へ

—— 富士通への入社を考えた理由について、教えてください。

100社近くの説明会に参加したのですが、その企業の多くの取引先に富士通の名前がありました。

業界を問わず、あらゆる企業とコラボレーションしているということは、それだけ与える影響が大きいということ。

少しずつ、興味を持っていきました。

とはいえ、学歴フィルターの現実を自分の目で見ていたので、「選考に進むことすらできないのではないか」という不安もありました。

そこで、大学のキャリアセンターや社会人の先輩に声をかけ、徹底的にESを添削してもらいました。

すると、無事に1次面接に進めることになりました。

ESが一番の難関だとも思っていたので、あっさりと通過したことに驚きました。

—— どの時点から、富士通への志望度が高くなったのですか?

面接に参加してからです。

実は、1次面接で、緊張のあまり倒れてしまったんです。

「絶対に通過したい」と強く思うあまり、思ったような受け答えができず焦りが募り、面接が終了して立ち上がった瞬間に足がすくんでしまいました。

それでも人事の方はあたたかく、体調面を気にかけてくれました。

そうしたこともありましたし、面接に参加した人の数も多いので、手応えがなかったのです。

それでも、なんとか1次面接を突破しました。

学歴で判断されていないことを実感しましたし、人のあたたかさを知り、次第に志望度が上がっていきました。

また、自分が働いている姿を意識できたことも、志望度が上がった理由の1つです。

現在所属している事業部の方たちの姿を見て、「自分もこんな大人になりたい」と感じましたし、そうなれるイメージが湧きました。

具体的な業務内容について話を聞き、やりたかったことを実現できるとも感じたので、第1志望として就職活動に参加していました。

—— 現在は、希望どおり富士通で働いています。内定をもらったときは、どのような気持ちでしたか?

月並みな表現ですが、本当にうれしかったです。

緊張のあまり、面接で足がすくんだあの日は、なんだったのか。

今では、希望していた部署に配属され、担当したかった職種につけています。

自分がやってきたことは間違っていなかったと思えましたし、今までなにをやってきたかよりも、これからなにをやるかの方が、よっぽど重要なのだと理解できました。

—— 現在は、どのような業務を担当されているのでしょうか?

安全保障に関わる部門で海外への輸出ビジネス開拓を担当しております。

ビジネス活動のステージに応じて最適な提案を行い、商談を推進することが主な業務です。

入社から2年が経ったタイミングで、いわゆる“新人期間”を終え、今は少しずつ仕事を任せてもらえるようになりました。

—— 入社してから、順調にキャリアを積み重ねてきたのですね。

振り返ってみると、失敗の数の方が圧倒的に多いですよ。

今でも忘れないのは、入社2年目のゴールデンウィークに、初めて海外出張に訪れたときのこと。

いわゆる“新人業務”の期間を終え、これから独り立ちするタイミングで、大失敗を犯しました。

自分で用意した資料をもとに、英語でプレゼンをする役割を担っていたのですが、あまりの緊張で、自分がなにを話しているのか、全く頭に入ってこないのです。

出張の1カ月前から準備を始め、何度も先輩社員にレビューしてもらい、万全の状態で臨んだつもりでした。

でも、自分だけではプレゼンを遂行することができず、先輩のフォローが入りっぱなし。

商談が終了した後に、ホテルのロビーで反省会をしたのですが、悔しくて涙も出ませんでした。

—— その経験から得た仕事の教訓はありますか?

仕事の成果は、準備の質で決まるということです。

出張で大失敗したあの日、僕は、万全の準備をした「つもり」になっていました。

「この提案をしたら、先方はどのような懸念を持つのか」「どのようなフォローをすれば、その懸念を解消できるのか」といった、自分の発言の先にある数秒後の未来を想像できていなかったのです。

失敗を経験したからこそ、「いくら準備をしても、まだまだ足りない」くらいの気持ちで、毎日の業務に取り組めるようになりました。

—— 居城さんの考える、仕事のやりがいについて教えてください。

志望動機でもある、「社会に対する貢献度の高さ」です。

まだ自分一人でサプライチェーン全体を担当できているわけではなく、担当する業務はごく一部です。

ただ、それでも自分の仕事が社会に貢献していることを強く感じます。

自分が携わったプロジェクトが新聞で特集されたり、テレビ番組で報道されたり、毎日の仕事が社会の変化に影響を与えていると感じられる機会が多くあるからです。

まだまだ未熟ですが、いつか「これは自分の仕事だ」と胸を張れるよう、より社会に貢献できるよう、歩みを進めていきたいと思っています。

「学歴で閉じられた扉」を開く方法

—— 大学受験に失敗し、挫折からスタートした居城さんですが、ご自身が描くキャリアを実現できています。ご自身の経験を踏まえ、これから就職活動を迎える学生に伝えたいことはありますか?

「就職活動は、就活期間に行うものではない」と伝えたいです。

2018年に、経団連はこれまでの「就活ルール」の廃止を発表しました。

しかし、「急激なルール変更は学生のみならず企業側にも混乱を招きかねない」という理由から、22卒の就活ルールは現行日程を踏襲する方針が表明されています。

だからといって、3月1日から就職活動を始めるのか。

それでは、遅すぎると思います。

志望する会社に入社するためにできることは、いくらでもあります。

僕はそれも含めて、就職活動だと思っています。

明確にやりたいことがなかったとしても、学業に打ち込んだり、サークル活動に全力を尽くしたり、目の前の選択肢に真摯に向き合って、自分を高めることは誰にでもできる。

その積み重ねがキャリアの解像度を高めますし、その過程から得られるものも少なくない。

「就活解禁日の3月1日まで何もしなくていい」と無思考になっていたら、得られるはずのチャンスも得られません。

僕の仕事の教訓でもありますが、準備の質が、成果を決めるのです。

—— 学歴にコンプレックスを抱え、挑戦を諦めそうになっている学生にも、メッセージをお願いします。

とにかく動きましょう。

先ほど、「自分のエントリー画面にだけ、満席の表示がされている」と話しました。

しかし、その説明会に、僕は参加できました。

事務局に問い合わせ、「自分だけなぜ参加させてもらえないのか」と尋ねたところ、機会をいただけたのです。

扉が閉じているからといって、そこで諦めてはいけません。

方法を考えれば、いくらでも開け方が見つかるはずです。

取材:井上茉優、取材・構成:オバラミツフミ、撮影:遠藤素子