「何者かになりたい」と焦るあなたへ

「何者かになりたい」と焦るあなたへ

社会の第一線で活躍する人たちが、もしもう一度、キャリアのスタートラインに立ったなら? 就活生や働き出して間もない人たちへのメッセージを紹介します。第9回は、NewsPicksパブリッシング編集長の井上慎平さんです。

目次

井上 慎平(いのうえ・しんぺい)

NewsPicksパブリッシング編集長(https://publishing.newspicks.com) NewsPicksトピックス『弱さ考』オーナー(https://newspicks.com/topics/weakness) 経済だけではつまらない。文化だけでは形にならない。2021年に双極性障害を発症、今も共存中。復職後、ユーザベース全体のDEIBにも関わる。

この記事で伝えたいこと

この記事で僕があなたに伝えたいことは、次のとおりだ。

  • 「何者かになりたい」欲求は、あなたを苦しめる

  • 「能力が高い」→「成功する」の因果関係は幻想

  • そもそも、能力を「個人が所有する」という捉え方が間違い

  • 能力主義(能力が高い人は多くを得てよい)は正しくない

どれか1つでも、届きますように。

僕はキットカットをあげない

いつの受験日だったか、校舎の入り口で合格祈願と書かれたハッピを着たお姉さんが、笑顔でキットカットを配っていた。僕はそれを無表情で受け取る。

「誰かは落ちるって、知ってるくせに」と、心の中で毒づきながら。

もう一度、キャリアの出発点に立ったなら #9 NewsPicksパブリッシング編集長 井上慎平
Vasily Koloda / Unsplash(https://unsplash.com/ja/@napr0tiv)

この文章は「私がもう一度、キャリアを踏み出すスタートラインに立ったなら」というお題を依頼され、書いたものだ。

テーマを聞いた瞬間、僕はふと就活に失敗した人、あるいは、働き始めたが思うようにいかずもがく人にメッセージを届けたいと思った。

僕はあなたにキットカットをあげない。就活は、受験と同じく「全員合格」がありえないゲームだからだ。

でも、問いによってあなたに新しい「世界の見え方」を贈ることなら、できるかもしれない。

「大人に、新しい『問い』を。」こそ、僕が編集長を務めるNewsPicksパブリッシングのミッションだからだ。

すべての能力を失って気付いたこと

気付いたら、すべての能力を失っていた。

僕がうつのどん底にいた頃の話だ。

NewsPicksに入社し、「優秀なビジネスパーソン」を目指して走り続けること2年、僕はある日、パタリと働けなくなった。

次第に、好きだった本が読めなくなった。

テレビが見られなくなった。

音楽が聴けなくなった。

会話する意欲も、気力も失った。

最後には脳内から言葉が消え「本好き・考えること好きな自分」というアイデンティティは、煙のように消えていった。

もう一度、キャリアの出発点に立ったなら #9 NewsPicksパブリッシング編集長 井上慎平
海底から水面を延々と眺めるような毎日だった(@irenainumaru)

それまで、僕は頭では「人の価値は能力なんかで決まらないさ」と思っていた。しかし、いざ、うつの底で仕事上でも生活上でも完全なる「無能」となったとき、自分をまったく肯定できなかったのだ。

僕は、腹の中ではれっきとした能力差別主義者だった。

それからだった。「能力」についてあれこれ考えるようになったのは。

「わたしの能力」は存在しない

『私たちはどう学んでいるのか』という一冊がある(去年のマイベスト本だ)。

著者いわく、個人の内部に「コミュ力」「論理的思考力」のように能力がモノのように存在するかのような「モノ的」な能力観は間違っているという(!)。

実際には、自分の内部リソース(積み上げてきた経験や記憶)と外部リソース(自分をとりまく環境)とが反応を起こすことで、一度かぎりの現象として能力が生み出される(=「コト」的」な能力観)のだと。(念のため、リソースとは「資源」「材料」を指す言葉だ)

たとえば、どんなお笑い芸人も、物理学の学会にいきなり立たされれば、その「コミュ力」を発揮することはできないだろう。

能力は人の内部にある「モノ」ではない。外部との関係性の中でその都度発生する「コト」つまりは現象だ。

あなたが日々高めようとする能力を、あなたは所有できない。

「能力が高い」→「成功する」の因果関係は幻想

「能力の高さ」という原因によって「成功」という結果が生まれる。僕も以前はそう捉えていたが、調べていくうちにこの因果関係も幻想にすぎないとわかった。

まず、「因果」の「因」にあたる「能力」についてみてみよう。

何が「能力」とみなされるかは場面によって変わる。たとえば僕は「まずはやってみる」「失敗してから考える」てへぺろタイプだが、この性質はかつていた成熟企業では「軽率だ」とネガティブに、ベンチャーであるNewsPicksでは「創造的だ」と(たぶん)ポジティブに評価されている。

「能力」の重み、そしてあやふやさ

何が「能力」とみなされるかは、時代によっても変わる。たとえば歴史上、女性の能力は長らく「子どもを何人産めるか」によって評価されてきた。直近で言えば、酒が飲めることはある業界のビジネスパーソンにとっては「必要条件」だった(その悲哀と苦労を、僕は親父の言葉の端々に感じ取った)。

「能力」。聞くだけで身がこわばるような、それを持たないと存在が許されないかのような重みを持つこの言葉は、かようにあやふやなものにすぎない。これを能力の「文脈依存性」という。文脈とはつまりここまで述べた「外部リソース(環境)・場面・時代」などのことだ。

「置かれた場所で咲きなさい」と人は簡単に言う人もいる。しかし、その花が「綺麗」と愛でられるかどうかは、文脈によって変わるのだ。

もう一度、キャリアの出発点に立ったなら #9 NewsPicksパブリッシング編集長 井上慎平
Steinar Engeland / Unsplash(https://unsplash.com/ja/@steinart)

人は「成果」を正しく認識できない

次に、「因果」の「果」にあたる、成果について考えてみよう。

実は、成果もまた幻想のひとつだ。なぜなら、「成果」が誰に帰属するかは正確に決められないから。

ジェームズ・ワットという人がいた。今日も電力の単位「ワット」に名を残す、蒸気機関の改良に貢献したイノベーターだ。しかし、ワットひとりが天才で、他の人は凡人だったかといえば、まったくそうではない。実態はむしろ逆だ。

ワットはまちがいなく優秀な発明家だったが、彼の功績でないものまで彼のものとされており、逆に大勢のさまざまな人びとの協力は、その功績を認められていない。

出典:『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』NewsPicksパブリッシング

しかたない。これが人間の認知能力の限界だからだ。人は、成果をひとり(orごく少数)の人にしか結びつけられない。

歴史を振り返っても、イノベーションは常に個人ではなく、チームによって生まれてきた。

詳細についてはぜひ弊社刊『人類とイノベーション』を読んでみてほしい。あらゆる成功者の陰に隠れている、「名もなき英雄(アンサングヒーロー)」の群像劇を。

今日も状況は根本的に変わっていない。

企業で誰かが表彰される。

表彰される人を支え、「外部リソース」を提供したメンバーは、拍手をする側に回る。

努力は評価されるとは限らない。だからこそ、評価されるかどうかにかかわらず、僕たちは胸を張っていい。いつかの缶コーヒーのコピーよろしく、「世界は、誰かの仕事でできている」のだから。

能力主義は正しいか?

あなたにも考えてみてほしい。

能力主義、つまり「高い成果を出した人が多くを得る」しくみは正しいか? 正しいとしたら、それはなぜか?

「努力により能力を高めたから」が、最も一般的な答えだろう。

だが、いわゆる「能力の高さ(低さ)」も、かなりのところ偶然による。

ヒトに46本ある染色体のうち、もし21番染色体が3本あったなら、あなたはダウン症だった。

ダウン症は約700人に1人の確率で発症する。あなたは699人の側だっただろうか?僕はそうだった。理由は?

無い。たまたまだ。そもそも数億の精子のうち1個しか卵子にたどりつけない時点で、人類の「生」は根源的に偶然なのだ。

もう一度、キャリアの出発点に立ったなら #9 NewsPicksパブリッシング編集長 井上慎平
@irenainumaru

もし僕がダウン症だったら、現代社会で「能力が高い」と認められるのは難しかっただろう(もちろん「文脈」によるが)。

「世の中のすべては偶然だって言うの? 努力は無意味なの?」

いや、そうじゃない。努力せずにプロサッカー選手になれる確率はゼロだ。

ただ、人間の脳はえてして、偶然を必然と捉えてしまいがちなエラーを抱えていることは知っておいてほしい。 

人は悲しいほどシンプルに世界を理解する

「公正世界仮説」という脳のクセ(バイアス)はそのひとつだ。

人間は世界が「因果応報」であってほしいと願う。「世界は公正で、いいことをすればいい結果が出る」と信じられるほうが、人生が安定するからだ。

しかしそう願うあまり、たとえば罪も無い人々が事件に巻き込まれる「結果」を見ると、「きっと彼らにも落ち度があったに違いない」などと被害者の内に「原因」を捏造してしまう(「夜道で襲われたのは、遅くに出歩いていたせいだ」など)。だって、もしなんの落ち度もない人が被害に遭ったのだと認めると、世界から公正さが失われてしまうから。

ちなみに、研究によればこの「公正世界仮説」を信じる人ほど生活満足度と幸福度が高いそうだ。つまり、世界をシンプルに理解する限り、人は幸福でいられる。むむむ。なかなか示唆深く、そして業が深い。

人間は、因果関係の推理が他の動物よりはるかに得意だ。だけど、複雑すぎるこの世界を理解しきるには到底及ばない。その結果、「不完全な推理によって、すべての事象をシンプルな因果関係に落とし込む」傾向がある。

「世界の複雑さ」については省略する。が、コロナも含め「今の世界・自分の状況のうち、5年前に予想できたことがいくつあった?」と問うてみてほしい。

もう一度、キャリアの出発点に立ったなら #9 NewsPicksパブリッシング編集長 井上慎平
Kristin Snippe / Unsplash(https://unsplash.com/ja/@frausnippe)

さて、能力の高低がその人だけの責任でない以上、そして冒頭に述べたようにそもそも能力を個人が所有できない以上、能力主義が正しいという論理的根拠は無い(他にも理由はあるが割愛する)。

そして一般的に、「論理的根拠が無いもの」を肯定しようとするとき、人はその「効果」を強調する

能力主義はいいものだ。だって、能力を評価すればみんな成長しようとがんばるし、その結果、より優れたものがたくさん生産される。ほら、とっても効果的じゃないか、と。

社会は「フィクション」で回っている

「能力」も「成果」も「能力主義」も、あるいはそれらとセットで語られる「評価」や「責任」だって、すべては「お約束」にすぎない。世界の因果関係をシンプルにしか理解できない僕たちが便宜的に生み出した創作、つまりフィクションだ(ただし、社会を回すのに「効果的」だからこそこのフィクションが生まれ、維持されている事実は軽視してはいけない)。

あなたの人生にとって本当に重要なのは、便宜的に個人に帰属させた「能力」や「成果」というフィクションから、あなた自身の価値を丁寧に切り離して、守っていくことだ。

2本の補助線:普遍と固有

ここまで、「世界の見方」を問い直してきた。

最後に、僕から新しい「世界の見方」を紹介したい。

まず、世の中に「普遍」と「固有」という補助線を引いてみてほしい。

ここで言う普遍とは「誰でもわかる」もの、固有とは「特定の人しかわからない」もののことだ。

順に、説明していこう。

なぜ数字とロジックは偉大か

ビジネスの世界は、基本的に普遍、つまり「誰でもわかる」の論理で回っている。

数字はその最たるものだ。5は、誰が見ても5。

ロジックもまた、「誰でもわかる」の代表格だろう。

数字(データ)とロジック。これら「誰でもわかる」共通言語があるからこそ、僕たちは、どんな異質な他人とも、一緒に働くことができる。チームで、1人なら決して生み出せなかったようなすごいものだって生み出せる。そう、とてつもなく「効果」的にだ。

ビジネスの世界において、あなたは数字やロジックという普遍の共通言語を用いて、生きる。

固有な世界には色しかない

一方、固有、つまり「特定の人しかわからない」世界では、あなたはあなただけの価値体系を生きる。

たとえば、もしも僕が今、5歳になったばかりの娘や妻を喪ったなら。それはそれはオロオロと取り乱し、一生癒えない傷を負うだろう。しかし、それは見知らぬ誰かにとっては「どうでもいい事実」だ。

友人はどうだろう。彼らにとっては、編集長になろうが社長になろうが、僕の価値は上がらない。逆にうつになり何もできなくなっても価値は下がらない。なぜなら彼らは彼らだけに特有のわかり方で僕を理解し、承認してくれているからだ。

固有の世界に、価値の有無をはかるジャッジはない。というより、そもそも優劣という考え方自体が普遍の世界特有であり、固有の世界には存在しないものなのだ。

固有の世界には色しかない。

もう一度、キャリアの出発点に立ったなら #9 NewsPicksパブリッシング編集長 井上慎平
Alexander Grey / Unsplash(https://unsplash.com/ja/@sharonmccutcheon)

「何者かになりたい」は、あなたを苦しめる

「何者かになりたい」。そんな焦りを抱える人は、きっと少なくないだろう。この気持ちからは、どうか上手に距離をとってほしい。

「何者かになる」とは、ここまでの言葉で言えば「普遍の世界において承認を得ること」にほかならない。

最速・最年少●●。実績。資格。職歴。肩書き。スペック。フォロワー数。「能力」。

これらは「誰でもわかる」価値だ。

そしてそのすべてが、いずれ消え去る。

どんな偉人も、一人で歩くことすらできなくなる

僕はうつで、疑似的に老いた。

老いが「かつてできたことがだんだんとできなくなるプロセス」だとすれば、僕はその下り坂を、いや断崖を、数十年分、一気に飛び降りた。

僕が「崖の底」から持ち帰った最も大切な学び。それは能力など普遍(誰でもわかる)の世界でアイデンティティを確立していると、それが失われたとき、自分という存在の根幹まで揺らいでしまうことだ。

就活をしている若いあなたには、想像もつかないかもしれない。だけど、老いは、全員に等しく訪れる。壮大な歴史から見れば、数十年の差なんて誤差だ。

もう一度、キャリアの出発点に立ったなら #9 NewsPicksパブリッシング編集長 井上慎平
eberhard 🖐 grossgasteiger / Unsplash(https://unsplash.com/ja/@eberhardgross)

普遍の世界でかつて輝かしい承認を得ていた人ほど、老いたときの喪失感は大きい。

「何者か」になるのは難しい、という話ではない。「何者か」になれたほうがむしろ危ういのだ。

あなたの「基地」はどこにある?

ただし、現代世界において、普遍(誰でもわかる)的な価値の持つ「引力」は相当強い。

誰からも認められたい。その気持ちは僕にもある。編集長になってやや満たされ、うつにより世界観がガラッと変わった結果、ほぼ消えた。ただ、もともと承認欲求は強いタイプだ。

20代前半の頃は、居酒屋で思い出話にひたる年上グループを見ては「昔話しか語れないしょぼいオッサンにはなりたくない」と心の中で見下したりもした。

愚かだ。過去のオレよ、オレが今一番「なりたくない」のは、お前のような馬鹿者だ。

自分をよく知りもせず、自分も知らない人の軽さ

すべてを一度失ったいま、思う。

普遍の世界で、自分のことをよく知りもしない誰かに「何者か」として認知されることに、なんの意味があるのか? 

消えゆく宿命にある「承認」を自分のアイデンティティとしてはいけない。

かわりに、ジャッジすることもされることもない、あなた固有の関係性を足場にしてほしい。そこが、挫折したときにあなたが立ち戻り、そして再び立ち上がるためのベース(基地)となる。

もう一度、キャリアの出発点に立ったなら #9 NewsPicksパブリッシング編集長 井上慎平
Laura Ockel / Unsplash(https://unsplash.com/ja/@viazavier)

人生の最期を彩るのは何か?

家族・友人との関係性。あなただけの感情・好きなもの・趣味・推し。なんだってかまわない。

他の誰かにはどうでもよく、ただあなたのみにしか価値を見いだされないものたち。それは、その固有性ゆえに、誰にも奪うことができない。何があっても、失われない。

顔の浮かぶ「あの人」と過ごした時間や思い出。

ひとり感激したこと、悔しさを噛み締めたこと、心を静かに動かされたこと。

ときに逃げ場に、ときに出発点となり自分を支えてくれたモノたち。

あなたの人生を最期まで彩ってくれるのは、固有の世界に存在するものだけだ。

普遍の世界での承認に、逃げてはいけない。

(おしまい)

エピローグ、的な。

お読みいただきありがとうございました。

NewsPicksパブリッシングのミッションは「大人に、新しい『問い』を。」です。この記事の問いは能力主義や能力のフィクション性でした。しかし、多くの人は、これからもそのフィクションの中で生きていく。6月に『キャリアづくりの教科書』という本を出しました。

もしこの記事が少しでも響いた、あるいは「焦り」を抱える人が思い浮かぶという人は、ぜひシェアをお願いします。

よければ、「弱さ考」の初回記事も読んでみてください。この記事で伝えたかったことが、「腹から」わかると思います。

就活、応援しています。

失敗したら、ここに戻ってきてください。あるいは、あなただけの基地に。

(文:井上 慎平、編集:JobPicks編集部)

このシリーズは、「NewsPicksトピックス」とのコラボ企画です。「「何者かになりたい」と焦るあなたへ」(2023年3月9日配信)を編集しました。

井上慎平さんはNewsPicksトピックスで「弱さ考」を連載しています。ぜひチェックしてみてください。

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