「ZIP!」「スッキリ」「news zero」「キューピー3分クッキング」など、日本テレビで数々の看板番組を担当してきたアナウンサーの岩本乃蒼さん(31)。
今年5月に休職、大学院に進みました。自身がアナウンサーを目指した原点の災害報道が、“学び直し”を後押ししたといいます。
社会人10年目で活躍するなか、職場から一度離れ、リスキリングを選択をした背景にインタビューで迫ります。
「ZIP!」「スッキリ」「news zero」「キューピー3分クッキング」など、日本テレビで数々の看板番組を担当してきたアナウンサーの岩本乃蒼さん(31)。
今年5月に休職、大学院に進みました。自身がアナウンサーを目指した原点の災害報道が、“学び直し”を後押ししたといいます。
社会人10年目で活躍するなか、職場から一度離れ、リスキリングを選択をした背景にインタビューで迫ります。
岩本さんが日本テレビに入社したのは2014年で、今年で10年目になります。自身がアナウンサーになる決意をしたのは2011年に発生した東日本大震災がきっかけでした。
当時は大学1年生。学校に通いながら、モデルなどのタレント活動をしていました。
日テレは2011年4月から朝の情報番組「ZIP!」を新たに始める予定で、岩本さんは学生リポーターを務めることになりました。その準備のため都内に向かう3月11日、大地震が発生します。
「電車に乗っている時に地震にあって、とんでもないことが起きたと感じました。その日の打ち合わせも中止になりました」
震災報道が毎日続く中、「ZIP!」が新番組として始まりました。
岩本さんが初めて読んだ原稿は被災地の宮城県で、コンビニでチキンの販売が約1カ月ぶりに再開されたというニュースでした。
「地震が起きていなければ、学生リポーターとして同世代の流行などを伝える役割だったと思います。しかし、私が初めて読んだ原稿は災害後のコンビニチキンの販売再開」
「レジの横で当たり前に並んでいる商品が、大きな災害が発生して買えなくなる。それが一つのニュースになるほどのことが実際に起こっていて、大学生ながら伝える責任を感じたことを今でも鮮明に覚えています」
東日本大震災発生から約1カ月後の新年度4月にスタートした番組「ZIP!」。関東地方も余震がたびたび続くなか、冷静に対応するアナウンサーの桝太一さん(当時。現在・同志社大学助教)、馬場典子さん(当時。現在・フリーアナウンサー)の仕事振りを間近で見ていました。
就職を決定づける大きな出会いとなりました。
「大先輩の桝さんや馬場さんと実際に一緒にお仕事させていただく中で、アナウンサーという仕事のイメージが変わったんです」
「当時は地震の発生が多く、生放送中に緊急地震速報が発表されることも度々ありました。一緒に出演していた学生リポーターの私たちが驚いているなか、桝さんや馬場さんは自分の言葉で目の前で起きている地震の状況を正確に伝えていく。必要な避難も強く呼びかける。そんな臨機応変で冷静な姿を何度も目の当たりにしました」
「すごい職業だなぁーと感じると同時に、『私もやってみたい』と思ったんです」
岩本さんは2014年、日本テレビにアナウンサーとして入社します。
1年目に担当した番組は、学生リポーターでお世話になった「ZIP!」のお天気キャスター。生活にかかわる気象情報を発信することは、学生時代とは違った「伝えることへの難しさ」を痛感したといいます。
「気象情報は、気象予報士さんがさまざまな情報をもとに原稿を書いてくださるのですが、キャスターとして、ただそれを読み上げるだけでは務まらないことに気付きました」
「『今日もいいお天気です』と伝えても、農家の方からすれば雨が降らないから作物が育たず大変だと感じてしまう人もいます」「晴れの日に『いいお天気です』と伝えたくなる時も、危険な暑さだったら? 農業をしていたら? 一概に“いいお天気”とは言えないんだな、と。画面の向こう側の視聴者への想像力を常に働かせながら、自分が発する一言一句の言葉に責任を感じた1年目でした」
入社以来「報道番組を担当したい」という希望を抱き続けていた岩本さん。アナウンサーになることを決意したきっかけでもある災害報道に携わりたい、という思いからでした。
入社4年目の2017年秋、日本テレビを代表する夜の報道番組「news zero」のキャスターに抜擢されます。
翌年からフリーアナウンサーとして同番組のメインキャスターを務める有働由美子さんらと一緒に、全国各地で起きたニュースを現場で伝え続けました。
「全国各地で発生した事件・事故、災害などのニュースを追いかけていくような日々が始まりました」
念願だった報道番組で、仕事やキャリアのあり方を見つめ直す機会にもなりました。
夏から秋にかけて毎年起こる台風や豪雨などの水害現場では、被災者から直接、次のような言葉を投げかけられたといいます。
「もっと早く言ってくれたら、逃げたのに」「大切なものを持ち出す時間がなかった」......。
「news zero」の現場取材で耳にした言葉が今でも強く記憶に残っており、災害報道の課題も感じたといいます。
「災害報道では関連する気象情報や自治体からの避難情報などを必ず伝えてきました。『災害から命を守る報道』をすべく、私たちアナウンサーも試行錯誤しながら伝える訓練をしています」
「ただ、放送していても、その情報に触れられない状況の人もいますし、知っても『まだ大丈夫』と思う人もいます。予測の数値では大丈夫でも、実際には被害が出てしまうことだってあります。きちんと伝えて、画面の向こうの人たちがそれを分かっていても、行動に必ずしも結びつかない現実を改めて認識しました」
「それと同時に、命さえあればこうした言葉を直接聞くことができるんだ、とも感じました」
全国各地で発生する災害。数々の現場取材を重ねていくうちに、被災した地域1つひとつに課題が山積していることを知りました。
「被災してから復興するまでの過程でコロナ禍になり、ボランティアの人たちが地域に入ることができず、復興が遅れてしまうという課題もありました」
「また、一度決壊した河川は土壌が緩くなり、川底に土砂が溜まってしまって、決壊前よりも氾濫が起きやすくなるという問題もあります」
メインキャスターの有働さんと一緒に働いたことで、伝えるプロとしてのスキルをさらに磨くことを意識するようにもなりました。
「報道番組では情報がどこか無機質に伝わっているイメージも持っていましたが、有働さんの言葉は与える印象が違いました。客観的に伝えながらも、そこには一人の人としての感情も入るような感覚です」
「事実やデータでしっかりと情報を裏付けはもちろん、1つひとつニュースに有働さんの人柄がにじみでています」
学生時代からテレビ局で働く機会を得た岩本さんですが、仕事の原点である災害の知識や課題を断片的ながら拾い集める一方、その伝え方にも自分なりの軸を持つようになります。
「災害情報も誰が伝えるか、誰から聞くかが、命を守る行動につながるのではないかと感じるようになりました」
「もちろん情報が正確であることは前提ですが、『逃げてください』『命を守る行動をとってください』と伝えた時に、それを見た人が自ら考え、行動してくれなければ意味がありません」
例えばテレビから伝わる情報よりも、家族や近所の人から「逃げよう」と声をかけられた方が、重い腰も上がるかもしれません。
家族のようにすでに築かれている関係性には到底及ばないけれど、テレビで日頃から見ているアナウンサーが言っているなら、逃げておこう──。
「そんな説得力がある存在になりたい」
有働さんと一緒に働いてより一層、気持ちを強くしました。
今年5月、同じ会社で働く夫が関西地方への転勤が決まったタイミングも重なり、約10年間勤めた日本テレビを休職して、関西地方の大学院に進学することを決めました。
大学院での研究テーマは、仕事の原点である防災・減災についてです。
災害現場でこれまで見たり聞いたりしたことをさらに深く学びたいという思いから、これまでの仕事の歩みから一度離れることを選んだといいます。
「様々な情報があふれる中で、テレビ報道に携わるアナウンサーとして何ができるのか」
社会人学生として、キャンパスでその自問自答をしています。
「大学院で学んでいる防災や減災の知見を、アナウンサーとして復職した時に生かしたいです。今はまだ道半ばですが、命を守るための災害報道を支えるために日々、学んでいます」
8月23日に公開予定のインタビュー後編では、大学院の研究テーマである防災・減災の学びのほか、アナウンサーとして今後どのようなキャリアを歩みたいのかに迫ります。
(取材・文:比嘉太一、撮影:鈴木愛子、デザイン:高木菜々子、編集:野上英文)