最終面接で何度も足止め...バカにした休学で晴れた自己キャリア像

2023年7月5日(水)

コロナ禍、描いた大学生活が送れない

大学4年生の私の世代は、入学当初からコロナ禍で過ごしました。

周りには休学をした友人が珍しくありません。海外志向で留学をしたいという人もいますが、コロナのせいで自分の思い描いていた学生生活を送れなかった、と「時間を延長」した人もいます。

私はずっと休学にこんなイメージを抱いていました。

Prostock-Studio / iStock

休学の道を選んだ親友が身近にいるのに、内心こんなことを考えていた自分には嫌悪感すら抱きますが、いずれにせよ後ろ向きな印象だったのです。

ましてや自分が休学するなんて一切、考えていませんでした。

最終面接「キャリアビジョンを話して」に困る

大学3年生、私は他の大学生と同じように就職活動を進めていました。人材業界と教育業界を目指していました。

書類審査や面接を順調にパスして手応えを感じていましたが、最終の役員面接で壁にあたります。

「キャリアビジョンを話してください」

いつもこう聞かれるのですが、どういうわけか、うまく答えられません。

一度や二度だけではないので、ある役員面接では逆に質問してみました。

「キャリアビジョンって、どうやったらうまく答えられますか?」

すると、面接担当者はこう返したのです。

「キャリアビジョンって自分でやりたいことじゃないと、なかなか浮かばないよ」

就活の最終盤。この言葉で私はこれまで、「自分に向いていそうな業界」を無意識に選んでいたことに気づかされます。

「やりたいことってなんだっけ?」

内定まであと一歩というところで、私は振り出しに戻りました。

kazuma seki / iStock

高校時代、狭い世界で生きてきたという思いがあった自分は、大学で大きく成長して、自分が変わっていくことを夢見ていました。

大学生になったら、見たことないような場所をめぐったり、いろいろな人に出会いたい......。ただまる3年過ごして、振り返ってみると、胸を張って、そんな行動ができてるとは答えられませんでした。

成長につれて目標やゴールは変わっていくもの。ただ、少し前に描いていた夢すらかなえられていない自分が、社会人になって何を達成や実現できるのだろう。そう悩みました。

大学4年の4月、最終面接で足止めになり、「自分探しの旅」を始めます。

このままでは後悔が残る気がして、私は休学することにしました。

monzenmachi / iStock

中央アジア放浪。ぼんやりと「なりたい自分」

親は昔から私がやりたいと言うことに寛容で、「休学中にかかるお金はすべて自分で稼ぐこと」を条件に、認めてくれました。また、大学の教授も「くだらないことに時間を使う人間ではないから」と言って、1年間の休学はすんなり決まりました。

最初に立てた計画は、かつて憧れていた「まったく知らない国を旅すること」です。

高校生のころ、沢木耕太郎さんの『深夜特急』(著者は26歳のとき1年かけて、そのときしかできない旅に出る)を読みました。当時の私には「憧れの旅」。大学で3年間を過ごし、社会人になろうとするタイミングだった自分には、今さら「自分探しの海外旅行」は少し恥ずかしい気持ちもありました。

「自分が知らない国であればどこでもいい」

そう思った私に、友人が中央アジアのキルギスを紹介してくれました。国名以外は何も知らず、行ったことがあるという知り合いも周りにはいません。ここを最初の目的地としました。

NPOで不登校の学生支援と北海道の農家さんの元で働いて貯めた資金で、日本を出発しました。

言葉も文化もわからない中央アジアで、初めて見る食べ物を口にしたり、知り合ったばかりの友人と知らない町に遊びに出かけたり。時にはトラブルに巻き込まれたり。期間を特に決めず、刺激的な毎日を送りました。

確かに高校生のころに自分が求めていた経験。未知の何かを攻略していくようで、心の中にあった後悔を少しずつ埋めていくような感覚を味わいました。

お世話になったキルギスの家族と筆者(右)

中央アジア4カ国を回りました。

ただ、この旅を3カ月で終えます。「このまま続けても、似たような感動が続くだけのような気がする」と思ったためです。

旅で、なりたい自分に少し気づくことができました。

私は「お笑い」が昔から好きなのですが、道中でふと、こんなことを考えたのです。

「自分は(アジア周遊という)環境を変えないと楽しめなかったけど、お笑い芸人やバラエティ企画を立てる人は、頭の中で環境を面白く変化させていてカッコいいな。面白いことを思いつく人に、なりたい」

私は学校で面白いことを言って、人を笑わせられるようなタイプではありません。このコンプレックスから、エンタメ業界に憧れはあっても、そこ止まりでした。挑戦して自分が否定されるのが怖くて、飛び込めなかったのです。

自分のあきらめと、なりたい自分ーー。

それにぼんやりとでも向き合えたころ、ツイッターでたまたま、放送作家を目指す学生募集を見つけました。

「無料」という言葉に怪しさも感じましたが、飛び込めばプロの放送作家の元で学べます。「この旅で見つけた挑戦がこれで始まる!」と、思い切って応募してみました。

結果は書類審査とオンライン面接を経て合格。「キルギスから面接に参加」というのを面白がってもらえて、新しい世界への切符を手にしました。

JosuOzkaritz / iStock

憧れの「面白人たち」と働いて

「放送作家見習い」の受け入れ通知から、1週間で帰国。東京での生活を始めます。

作家さんの元で学ぶ仲間は既に、芸人さんと仕事をしている人や学生芸人としてお笑いをやっている人たちで、「ど素人」は私だけでした。

毎週開かれるネタ出し会議では、周囲の企画力のクオリティーの高さに圧倒されました。ただ、自分のアイデアにも「面白い」という評価を度々もらえて、ちょっとした自信になりました。

あるとき、大手飲料メーカーのPR企画の会議に参加させていただく機会がありました。

参加者のなかには、著名な広告プランナーや番組ディレクターもいました。会議のレベルがとても高く、私には、とてもついていけません。

一方、そこで「こうやったら面白い」「これを足せばもっと面白い」と企画が練り上げられていくプロフェッショナルな姿とプロセスを目の当たりにします。まさに憧れていた「面白い人たち」。こうしたロールモデルを目指す思いをより一層強くしました。

bernie_photo / iStock

面白い企画を考えられる人になるーー。ぼんやりながらも、自分に正直な目標を持って、私は就職活動を1年ぶりに再開しました。

今度は業界を変えて、広告代理店とPR会社を中心に受け、PRプランナーの内定をもらえました。

1年間の休学前は、当初は思いもしなかった進路選択の指針を授け、それを自らつかむこともできました。

休学前に最終面接で苦手意識を持っていた「キャリアビジョン」についての質問も、自分の夢とセットで熱っぽく語れるようになっていました。

byryo / iStock

「休学なんて逃げでしょ?」に思う

休学して良かったな、と思っています。

ただ、休学なんかせず、別のアプローチや努力で自分のやりたいことや、自分らしさ、幸せをつかむ未来もあったと思います。

もしあのままダラダラと旅を続けていたら内定までのチャレンジや到達、満足感はなく、休学が良かったのはあくまで結果論。運だと思います。

一方、こんな学びもありました。

「不満や不安があるなら、現状の何かを変えろ」

私にとっては、その手段の一つが休学で、たまたま、うまく運びました。

休学は逃げではなく、変化を起こす一つの手段。今では、そう思っています。

(文:鍬崎拓海、デザイン:高木菜々子、編集:野上英文)