──今は多岐にわたるお仕事をしているおおもりさんですが、どんな学生時代を過ごしていましたか?
おおもり:小さい頃からずっとピアノが大好きで。将来音楽に関わる仕事に就けたらなあと漠然と思っていました。高校のときに興味を持った音楽療法について学ぶため、三重大学の教育学部 音楽科に進学しました。
音楽って、なくてもいいものだけれど、あると豊かになるもの。友だちや家族のように無条件で自分に寄り添ってくれる「音楽」というものの力を信じているんです。精神科やグレーゾーンと言われている人たちの自己肯定感をあげることにもつながり、正解のない音楽というものに触れてもらうことで豊かになるのでは、と考えていて。
教育学部だったこともあり、例に漏れず教育実習にも行きました。でも、当時の指導要領に対して違和感を抱き……。さらに、音楽療法を仕事にする機会が当時は圧倒的に少なかったんです。「さて、将来どうするか」と悩みに悩んで、とりあえず大手メーカー、広告代理店や商社を片っ端から受けたのですが、それはもう片っ端から落ちて(笑)。
──新卒では結局どんな会社へ?
おおもり:広告代理店にひろっていただき、ショッピングセンターのセールスプロモーション担当として配属されました。店内を循環させたり、クロスセルを促すためにPOPの制作や企画営業をしたり。それなりに充実はしていましたが、3年目を迎えたときに、やっぱり教育や音楽療法でなくても、なにかしら音楽に関わる仕事をしたいと思い、音楽プロダクションの採用試験を受けることにしたんです。
万年筆で書いた第一志望の音楽プロダクションへの手紙
──ついにやりたいことへの第一歩を踏み出したのですね。
おおもり:その音楽プロダクションはシンガー・ソングライターが多く所属しているところで、自分が表現したい思いを自身で奏でる人たちの場所でした。音楽業界に入りたい! というより、音楽業界のこの会社に入りたい! この会社でなければ意味がない! くらいの強い気持ちでした(笑)。なんとか最終面接まで進んだのですが……。
社長への憧れが強すぎて、いざご本人を前にしたらアガってしまって、過呼吸のようになってしまい。私が会社側の採用担当でも「なんだ、ただのファンだったのか」と落としたと思います(笑)。案の定結果はダメで、いくつか受けていた他の音楽会社に入ってアーティストマネジャーの仕事に就きました。
──それでも広告代理店から音楽業界へ進んだだけでも、一歩近づいたように感じます。
おおもり:入社した会社では上司に「本当は別の会社に入りたかったんだけど、落ちたから来ました!」と言ってしまうほど、落ちた会社に対して未練たらたらで。マネジャーとして1年ほど経験を積んだ頃、このご時世に、わざわざ直筆で大本命の会社に手紙を書きました。こんな未練を残したままマネージャーを続けるのも失礼だし、最後に思いの丈をぶつけようと。万年筆もそのために買いました。
すると、募集もしていないし音楽事業じゃないけれど、新規事業部でよかったら、と内定が出たんです。とはいえ音楽事業には全く関われないので、ニンジンを目の前にぶら下げられたまま、キャベツを食べておけというような状態ですけどね(笑)。
──音楽プロダクションの新規事業というのは、どんなお仕事だったんでしょう?
おおもり:日焼け止めなど化粧品の開発だったんです。完全に立ち上がったばかりの新規事業の部署だったのですが、そこにも強い音楽愛は感じられましたよ。音楽フェスなどで音楽を純粋に楽しみたいときに、日焼けのことを気にせずに没頭できるように、ということで商品開発がスタートしていました。
3人くらいの小さな部署だったこともあり、商品開発からコンセプトメイキング、ネーミング、コピーライティング、パッケージのディレクションにPR、営業も一緒についていったり、プロモーションもしたり。とにかく全部やらせてもらいました。
──急に職種が広がりましたね。お聞きしていると、広告代理店時代のPOP制作などのスキルが役に立ちそうです。
おおもり:まさにそうなんです。「やってて良かった代理店!」とさえ思いました(笑)。あのときの経験がなければ、指示待ちになっていたと思います。ただ、代理店だとどうしても出来上がった商品をどう売るか?ということがメインですよね。1→10というか。化粧品の開発に携わることで、0→1でものをつくるというのがこんなに難しくて、こんなにも楽しいのかということを体感しました。
私が関わったのは音楽でこそなかったけれど、日焼け止めという「ほぼ毎日つけるもの・日々の暮らしに寄り添うもの」という意味では、音楽への熱意と同じ気持ちを向けながら仕事に取り組めたと思います。
──お話をうかがっているだけでも、当時のいきいきとした様子が想像できます。その後はどんなキャリアを?
おおもり:5年ほど化粧品開発に関わったのですが、会社側の新規事業の在り方が変わるなど紆余曲折あり、私もそのタイミングで転職することにしました。次のお仕事は伝統工芸のPR。日本国内各地の商品をバイヤーとして仕入れたり、展示会などでビジュアルマーチャンダイジング(VMD)のようなこともしたり。この頃には年齢も30代に差し掛かっていたので、社内のマネジメントも経験しましたね。
音楽業界を志してなぜか化粧品をつくり、その後は伝統工芸、というと脈絡なく感じるかもしれませんが、私にとっては「なくてもいいけど、あると豊かになる」「それが誰かの日々の営みや暮らしに何かよいきっかけを与えられる」という軸があります。そういう仕事に惹かれていくと、「営業職じゃなきゃできない」「この業界でないとできない」という制限は意外とないように感じます。
──現在はフリーランスでご活躍されているとうかがいました。
おおもり:はい。歴史や文化・風土、そして思いに耳を傾けながら、地方創生に関する様々な事業やブランドに参画し伴走しています。フリーランスになったばかりの頃、とある雑誌の「エシカルフードカタログ」という特集に声をかけていただいたんです。ライター経験もまったくなかったのに、10ページの企画とライティングを任せてもらったことは、とてもいい成長の機会になったと思います。
他にもたとえば、岐阜県の先人たちの知恵である「直線断ち」や「草木染め」などを取り入れ、伝統的な服づくりをされている石徹白洋品店のサポートをしたり、「フードスコーレ」という食の学び舎を仲間と一緒に立ち上げ、副校長を務めたりしています。
──伝統工芸のPRも何か今の仕事にひもづいていますか?
はい、とっても(笑)。現在複数の地域に毎月毎月通っていて、実はほぼ東京にいない日々を送っているんです。地域にもよるのですが、プロジェクトマネジメントをしたり、商品開発のアドバイスをしたり、ワークショップの企画運営、ファシリテーションなどを行ったりしています。地域の課題やニーズは伝統工芸のPRをしていたときによく耳にしていたので、そのときの経験はここで生かされているなと感じています。
──プロフィールを拝見すると、都内の高等学校で講師もされているのですか?
おおもり:そうなんです! 大学時代に教育実習をしていたことが、まさかこんな形で回収されるとは……。フードスコーレの校長と一緒に「食と環境」をテーマとした授業を毎週担当しています。もう自分にない視点がたくさん得られるし、とても楽しく授業させてもらっているんです。教えにいっているはずなのに毎回学ばせてもらっています。
──おおもりさんの経歴をおうかがいしていると、過去の経験は生かしつつも、職種・業界にとらわれない仕事にどんどん挑戦しているように感じますが、どうやってチャンスを手に入れているのでしょう?
おおもり:私が自信がない、スキルがない、できない、と思っていることでも、周りの尊敬している人や大好きな人が、「できる」と思って声をかけてくれるんですよね。それは私自身が気づいていない可能性を感じてくれているのかもしれないし、「この人ならできるだろう」と信用・信頼してオファーしてくれているということなのかなと。それであれば、まずはその周囲の人たちが感じてくれている可能性を信じようと考えているんです。
なので思いに共感しあえていれば、その手法(職種)に固執せず、とにかくまずは軽やかにしなやかにほがらかに行動してみる、というのは心がけています。それが勝手に職業欄が拡張していった原点になっていそうです。
とりあえず行動してみるって本当に大事だと思っていて。打席に立ち続けるというか。打席に立ってみないと「意外とこの角度は得意だな」「こういう球は苦手かも」という感覚はつかめません。できないことを知るのも大事ですし、外野でいる限り、これは体験できないことだと思います。
──幅広いお仕事をパワフルに続けているおおもりさんの原動力は、どんなところに?
おおもり:私、たぶん好きな人たちとしか仕事したくないんです。というか好きだと思える人たちじゃないと続かない(笑)。好きな人たちに幻滅されたくないからエンジンがかかる。エネルギーも勝手に湧き出てがんばっちゃう。そうやって生まれた仕事だから、さらに好きな人たちから新たなお仕事もいただける。そんな循環があるのだと思います。
私がお仕事をご一緒する人たちは、おじいちゃん・おばあちゃんになっても長くお付き合いしたい人たちばかり。だからというわけでもないですが、実は一度も価格交渉をしたことがないんですよ。私の価値はいくらですよ、ということではなく、先方のバジェットの中で私が出せる価値を最大限提供しますよ、という。だから変な話、お金ではなくお米やパンを送り続けてもらうという、資本主義じゃない関係もあって。こういう話をしてしまうと、今後のお取引全部そういうことになっちゃうかもですが(笑)。
そうやって積み重ねていった今のお仕事は、どれもかけがえのないものです。
(文: 山本梨央、デザイン:高木菜々子、編集:筒井智子)