ユーザーの痛みとシンクロしろ
プロダクトマネジメント業駆け出しの頃に先輩に言われ、今でも大事にしている言葉です
「デジタルで完結するサービスを運用して、データを日々見ていると、だんだんお客様の心の機微に疎くなる。データの向こうに生身の人間がいることを忘れてはいけない。そして、自分たちの起こす「些細に見えること」がどのくらいお客様に不便、不安、不満を与えてしまうのか?を敏感に感じ取れるようになって欲しい。
・サービスの寸断
・ちょっとした説明の入れ忘れ
・マス...
ターシートの設定ミス どれも運用側には一見、些細な時間だったり、修正の工数がさほどかからない(場合によっては管理画面でちょっといじるだけの?)事象かもしれない。ただ、その裏でその事象によって、ユーザーの大事な商談が潰れたり、(ゲームなら)白熱したバトルに水を刺されてデモチすることだってある。ユーザー体験への影響は決して障害の大きさに比例するわけではない。我々のちょっとした判断がユーザーを「ちょっと不快」なんかではなく「絶望させる」ことがある。 また、ユーザーに「良かれ」と思ってとった対応が、その対応の裏で対応を受けられなかったユーザーを白けさせていることもある。 プロダクトマネジメント歴の浅い人はユーザーの「喜びそうなこと」には意識を向けられるが「痛み」と細部までシンクロできる人は少ない。運営側でありながら、圧倒的なユーザーとしての当事者意識を持って、それでも運営としての判断ができる。そんな人がコンテンツをグロースさせることができる。」 という意味が込められている1行です。