先輩は答えを教えてくれない
記者も編集者も、最後は自分の好奇心を信じないといけない。そこだけは、他人のコピーができないし、どんな良い先輩もノウハウは教えられません。
自分が抱いていたジャーナリストの「理想的な姿」は、カメラを片手に海外を飛びまわるような、国際派ジャーナリストでした。しかし、現実に大手新聞社に入社すると、まずは地方支局を担当することになります。
最初に勤務地は「愛媛県」と知らされた時に、なんだよミカンの産地かよ、どんなテーマがあるんだろうかと凹み...
ました。 しかし、海外報道にたずさわることは、地方でも可能だとすぐに気付きました。私は愛媛県の地場経済を支える造船業、ミカン(農業)、縫製業などの多くが、抜け穴のような法制度を通して、大量の外国人に支えられていることを面白く感じました。あの愛媛のミカンも、中国人がつくってるじゃないかと、当時は驚いたのです。 そこで貯金はせずに(笑)、2000年代半ばから夏季休暇にはアジアの国に自費取材に行っていました。こうした地方と世界を「点と線」で結びつけるような取材の積み重ねが、記者としての血肉になりました。 そして気付いたら、テクノロジーの世界の頂点にあったアップルと、iPhoneのコア技術を支えているアジア中のサプライチェーン企業を調査するという仕事に連なっていきました。これが、自分が処女作として書いた「アップル帝国の正体」(文藝春秋)というノンフィクション本を書いた原点です。 ジャーナリストとして素晴らしい仕事をするには、華やかな場所、有名メディアへの入社、エースポジションを手に入れることが必ずしも「正解」ではない。 地方であったり、地味な分野であっても、それを世界で起きている巨大なトレンドと、必ず結びついているからです。要は、みんながつまらないと思っているものの中に、いかに面白いつながりを見つけらるかが勝負だと学んだわけです。 他人と同じものを見て、違う物語を見つけられるか。 これこそ、私が感じる醍醐味です。先輩記者たちには、控えめに言って死ぬほど迷惑をかけましたが、そうした自分なりのアプローチは、誰も教えてはくれません。